福島県教育センター所報ふくしま No.41(S54/1979.6) -005/038page
ところで,わが国の事情について見れば,明治維 新以降、欧米先進諸国に範をとり,ひたすら近代化 路線を突進しつづけて来たわけであって,第二次世 界大戦の敗戦によって,かえって民主化を前進させ, 主権在民の国家となり,敗戦後の窮乏から,人類史 の奇跡とも見られる経済復興を成就し,工業化の進 展を早め,先進諸国に対して,いわゆる師に勝る優 等生的存在となったのである。
しかしながら,先進諸国のかかえる近代化路線の 矛盾についても,師に勝る優等生であって,彼等以 上に深刻な矛盾を包蔵し,かつ露呈しつつある存在 状況にある。
いったい近代化が巨大になるにつれて露呈されて きた深刻な矛盾の根源は何であるだろうか。
民主化も工業化もその源流は西欧に発したもので あり,前者は市民が政治的解放と自由を求める精神 によるものであったし,後者は近代科学の発達が技 術の進歩を産み,それが生産様式の大変革を招来す るという筋道によるものであったことは,言うまで もないが,近代科学を発達せしめたものは,人間の 合理性であり,これまた人間の解放と自由を求める 精神である。両者いずれも何よりも人間の立場に立 っているのである。このあり方を,ヒューマニズム と呼ぶことができよう。ただし,ヒューマニズムの 立場もここでは限定して見ることが妥当であろう。 すなわち,それはヨーロッパのヒューマニズムであ り,近代ヒューマニズムとすべきである。
近代化の流れは17世紀以降西欧中心の世界史の動 向を形成し,その内容としての2つの相関する特色 もグローバルなものとして今世紀に至ったわけであ るが,上述のように見て,その原理は,いわゆる近 代ヒューマニズムであるとすることができよう。
このようであるならば,近代化の進展に生じた深 刻な矛盾の根源は,じつにこのヒューマニズムその ものにあるとしなければならない。ヒューマニズム こそ望ましい人間の在り様であることを疑う者があ つたであろうか。どのようにして矛盾の根源であ るのであろうか。われわれは,つぎのように考えう るのでなかろうか。すなわち,われわれは,何々イ ズムと称する多くの主張を知っているわけであるが, イズムは,その何々と言表するものを絶対化する危 険を包蔵していることに気づかなければならない。 ヒューマニズムもイズムの危険性を包蔵している。 その危険とは,人間を絶対化することに他ならない。 人間を絶対化した人間は,人間の力の信仰にはしる。 この力をふるって,他を支配することを飽くなく追 求実現しようとする。その帰結するものは何か。対 自然,対人間,対自己自身という人間の生き方につ いて見ればどうなるか。
自然とのかかわりにおいては,「人間と環境の最 近の諸問題は,人間の社会も,自然環境と共に,よ り大きい生きた系をつくる一つの要素にすぎないこ と,そしてその大きな系における秩序の消滅はその 系全体の死を意味することを私たちに教えてくれて います。」 注2 という指摘を無視してひたばしることにな る。人と人とのかかわりにおいては,カの強いもの が他を支配しようとする。人間集団は集団相互の間 に力の抗争を招く。今世紀2つの大戦は,最も生ま 生ましいかつ戦慄すべき証左であるだろう。しかも その恐れは,近代の原理をこえない限り消滅しない と見られるのではなかろうか。民主化の方向は,い たずらに多数の横暴,少数の卑屈と反噬に転落する。 自己自身においてはどうか。自己が自己をコントロ ールする方向には進まないで,自己中心に目は他人 に向けられる。自己の利益を貧欲に追求して他(他 の人間と自然―生物)を思いやることをしない。
これはまさしくヒューマニズムの破綻である。近 代化の原理であるヒューマニズムは,このままでは, 人類の未来をささえることはできない。原理は転換 しなければならない歴史的境位に今日はあるのだと 言わなければならない。欧米先進諸国に範を求めて きたわが国,しかもそれを負の効果において超え出 たと目(もく)されるわが国においては,とりわけ真剣にこ の間題の解決に当らなければならない。
この問題の解決は,政治の力や経済の力によるの ではない。それは教育のカに待つより外にない。わ れわれが望む,望ましい人間像の問題の根底にこの ことが存在している。
問題解決の方向はどうあるペきであろうか。紙幅 の都合上端的に言えば,破綻した近代ヒューマニズ ムを真正なヒューマニズムに回復すること。この意 味で近代をひらいたルネサンスに代って再度のルネ