福島県教育センター所報ふくしま No.42(S54/1979.8) -014/034page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

研修についての態度や意欲も形成されてくる。
3 必要感に支えられた研修であること
 研修課題や組織に対する自己関与は,校内研修についての必要感を基盤としている。研修の必要性と問題点(研修課題)の把握をどのように行い、いかに必要感を喚起させるか,それをどうやって教師集団共通のものとし,校内研修を成立させていくかが重要である。
 ア.校内研修をなぜ行わなければならないのか,研修についての社会的立場からの要請,教師の専門性の確立,学校教育推進者としてのあるべき立場,教師の経営参加の意欲づけといった観点から,その理由をはっきりさせたい。
 イ.校内研修についての教師のニードの調査を行い,それを基にして研修課題を設定したい。
 ウ.研修課題についての必要感を,教師集団共通のものとしたい。たとえば,学校教育目標の具現を図るために,今,自分たちの指導(方法や技術も)になにが欠けているのか,その欠けているものを補えるような校内研修を考えよう。校内研修の課題をそういった視点からとらえ,先のニード調査と組ませることなどから,必要感を共通のものとすることもできるのではなかろうか。 
4 自主研修を尊重すること
 当教育センター“所報”No.41(1979.6)の「県内公立小・中学校現職教育主題一覧」によれば,教育研究を通して研修のねらいに到達することが多く計画されている。また,その場合,本県のほとんどの学校が,学校統一テーマによる共同研究によって研修を実施している。小学校93.6%,中学校の87.2%がその実態である(−表1− 前掲“紀要”No.17 「現職研修に関する調査」)。
 そのような共同研究の場合でも,やはり先に述べた研究についての「自己関与」を,メンバーのひとりひとりについて図らなければならない。共同研究とはいっても,それは個人の研究の集積であり,それをとりまとめ調整を図るのが研修リーダーとしての主任の役割りである。その調整の過程での個人の承認や配慮的行動が,研修意欲の喚起や深まりに大きな影響を与えるのである。
 また,研修時間の不足について先に述べたが,全員が協議会に参加したり,部会等を開催することなどは困難なのが現状である。そこで,研究における個人の発想の自由と,その発想に基づく展開の自由を共同研究の柱にすえ,その一方で研究に対する責任を持たせることも必要なのではなかろうか。全体会と全体会との間を埋めるものとして個人研究があり,個人の研究をつなぐものとして部会や学年会の研究がある。日常の教室での教育実践が,すべて研究―研修に関わるようなシステムをつくることも,研修時間の確保ということと個人の尊重ということに関わってくるのではなかろうか。
 教師ひとりひとりを,その研究,研修の成果の評価を通して,その学校になくてはならない人として認めていくことが,研修意欲向上のポイントとなるものと思う。

 自主的に研修すること,それが校内の多くの人々に承認されること,そうして生まれた意欲に支えられて研修が展開されれば,それは満足度の高い校内研修になるのではなかろうか。分担と協力の組織を十分に生かし,ひとりひとりのニードに合致した,日々の実践に役立つ校内研修の推進を期待したい。

 表1「テーマと個人共同研究」        (%)
                                       学校種別

小学校

中学校

項    目
ア 学校の統一テーマを全員が同一歩調で共同研究している

73.4

93.6

57.7

87.2

イ 学校の統一テーマを学年単位で共同研究している

9.2

3.8

ウ 学校の統一テーマを教科部単位で共同研究している

11.0

21.9

エ 学校の統一テーマをインフォーマル単位で共同研究している

0

3.8

オ 学校の統一テーマはもたず、学年・教科毎のテーマで共同研究している

0.9

6.4

1.3

12.8

カ 学校テーマのサブテーマを設け、個人毎に分担して個人研究している

3.7

5.1

キ 完全に個人の意図でテーマを設け個人研究している

0

1.3

ク (アイウエオ)と(カキ)のどれかを組合わせた二本立ての研究

1.8

5.1

 

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育センターに帰属します。