福島県教育センター所報ふくしま No.42(S54/1979.8) -016/034page

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あっても,つねに同じ自分がそれを行っているのだ,と冷静に受けとめることが出来る能カ すなわち自己同一性(identity)であると言えます。
これは社会的経験の中で育ってゆくものですから,社会的自己同一性とも言われます。自発性,自律性,自主性,主体性 創造性もこのidentity発達の一面をとらえた言葉と言えます。これは教師もまた生涯にわたって追求すべき人間的課題です。生徒指導では,教師の「教える」という態度より,「共に求める」という態度が要求される根拠もまたここにあると言えるでしょう。

〔問い 4〕生徒指導には教師間の共通理解が必要だ,とよく言われますが,それはなぜでしょう。

答え 〕 非行生徒の指導1つをとってみても,同じ学校の教師間で意見のくい違いがあり,その意見のくい違いをそのままに,生徒へのアプローチをはかれば,せっかくの指導が水の泡に帰するばかりでなく,全くの逆効果となることは明白です。そればかりでなく,生徒指導はすべての生徒についてすベての教師が全く同じ責任を分ち合うべきものであり,校務分掌上の役割分担は協業のためにあるので,生徒指導がいきいきとした機能として働くためには,すべての教師が生徒指導担当者として,その専門性を高めるために,お互いに呼び合い,相補い合い,高めあってゆかなければ,効果は上りません。

〔問い 5〕 生徒指導で先ず共通理解をはからなければならない点はどんな点でしょうか。

答え 〕 「生徒指導は帰するところ理念であり、思想である。」とも言われます。例えば,「自主性を育てる生徒指導」という目標をかかげたとしても,「自主性とは何か」ということが正しく把握されず,その共通理解が不充分なままとりくめば,その方法や手だてがいかに微に入り細に亘るものであっても,結果としてはかえって自主性をそこねることにもなりかねません。したがって,生徒指導については先ず上に述べた「生徒指導とは何か」「生徒指導のねらい(目標)はどこにあるのか」という点について,正しい把握が全教師によって行われることが大切です。次いで自校の実態の正しい把握でしょう。実態にもとずいた共通の課題意識があって始めて自校に適した実践可能な生徒指導の目標や指導計画が生れてくるのだと思います。

〔問い 6〕共通理解を阻むものは何でしょうか。又,価値観の相違があるのだから共通理解は不可能だ,という人もいますが。

答え 〕 ひとりひとりの生徒理解が困難なように,教師間の共通理解もまた困難なことですが,学校が全体としてそのシステムをフルに回転させて生徒指導の機能をいきいきと発揮するためには,「価値の統制」ではなくても,少くとも,「価値の集約」が行われるべきは当然でしょう。
 ブラメルドは価値観の相違について,従来の行動科学は,価値の記述,すなわち価値の相違を明瞭にしようとだけ努力して来たと批判し,社会的自己同一性の樹立ということを人間の価値の最高におけば価値の人間治療学(アンスロポセラピ)的必要性が共通に認識される,そこから価値の対立は克服出来るとしています。つまり,「この生徒のこの行動に対する最善の治療方法は何か」と考えれば,価値の対立はありえないと,主張しています。
 価値観の相違と言いながら,実はもっと低次元のところでさ迷ってはいないでしょうか。例えば,感情的対立とか,自分の面子とか,あるいはナカマ同志の慣れ合いということもあるかもしれません。意見が対立するときは,一応次の点を疑ってみることも大事でしょう。
(1)自分は相手の年齢や経験にこだわってはいないだろうか.
(2)相手の人柄,評判,イメーシなどにとらわれてはいないだろうか。
(3)「そんなことは出来るはずがない」と頭から否定して,あとからその理由づけを考えてはいないだろうか。
 共通理解にとって意見の対立は決してマイナスばかりとは言えません。対立を通してのみ共通理解はスパイラルに発展してゆくものだからです。

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