福島県教育センター所報ふくしま No.43(S54/1979.10) -012/034page

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生 徒 指 導(その2)

生 徒 の 理 解

経営研究部  原   洋
斎 藤 健

            

〔問い 7〕 生徒を理解しようとする場合,どのようなアプローチのしかたが考えられるでしょうか。
答え 〕 生徒を理解する場合,次の3つの立場からのアプローチが考えられます。
(ア) 発達的な立場からの理解 − 生徒の成長過程には,一般的に年齢段階に応じたさまざまな特徴(反抗・不安定など)があります。したがって,それぞれの時期に現われるそれぞれの特徴を発達という見地から正しくはあくし,解釈することが望まれます。
(イ) 個人的な立場からの理解 − 発達的理解は,どの生徒にもそのままあてはまるものではありません。生徒はすべて個性的であるため,それぞれの生徒の個人差にもとづいたひとりひとりの特質の理解が必要になります。生徒ひとりひとりを単なる現象面だけでなく,内面とのかかわりにおいて原因・動機反応などの面から理解することが必要になります。
(ウ) 集団的な立場からの理解 − 生徒の行動の要因として,個々をとりまく生徒集団の影響力を見逃すことはできません。集団の中でどのような位置をしめているかどうかが,個人の行動を左右すると考えられます。したがって,生徒ひとりひとりの集団内における行動や役割を理解することも大切になります。

〔問い 8〕 生徒指導にとって,生徒個人を理解することがなぜ大切になってくるのでしょうか。
答え 〕 前に(問い2で)述べたように,生徒指導のねらいは究極において生徒ひとりひとりにおかれ,生徒の人格を最も望ましい方向に完成させるための援助であるといえます。したがって,生徒個人の理解を基礎としなければ,生徒指導の究極の目的は達成されないといえるでしょう。
 生徒といわず人間は,存在それ自体が個性的であり,独自性をもったものでありまず。ここに当然ながらひとりひとりの個性や独自性の理解が必要になってきます。
 また,実際の生徒指導をすすめるにあたっては,生徒指導の各分野ごとの指導も行われるわけですが.日常の生徒との接触では各分野が複雑にからみあい統合され,かつ継続的な形で行われることがより多いでしょう。したがって,部分的な生徒理解ではじゆうぶんでなく,個々の生徒に対して各教師が持ついわば統合的な生徒像(人格全体に対する理解)が.現実の生徒指導では重要な役割をになうことになります。
 なお,たとえ意識的でなくとも教師のあやまった生徒理解が動機となって,生徒をさらに問題行動においこむようなことがあるとしたら,それはゆるされないことといえるでしょう。

〔問い 9〕 生徒理解の究極にあるものは,生徒個人の独自性の理解だといわれますが,それはどういうことでしょう。
答え 〕 「生徒指導はひとりひとりの生徒を………」とよくいわれ,生徒の独自性の理解と個別的な指導が強調されます。この独自性に強い関心を持たなければならない理由は,たとえば同じ問題に悩んでいると思われる生徒でもどこかそれぞれ異なるものを持っていて,それぞれユニークな存在だからです。悩みの調査を見る場合も「学級で一番多い悩みは進学のこと,二番目は友達のこと……」とは見ないで,「A男の悩みは何か」「B子の悩みは何か」という発想で見るのが,独自性を理解しようとする教師の態度です。また,ひとりひとりの生徒は,たとえ同一の現実的環境でもそれぞれ異なった認知をもち独自の行動をとるし,外に現われた行動や態度は同一であっても,その背景は異なるという点に目を向けることです。
 つまり,生徒理解においては,生徒の一般的傾向に目を向けるだけではたらず,ひとりひとりの独自性に視点をおくことです。すなわち,生徒の独自性の承認とその内容を深く追求することが大切になってきます。


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