福島県教育センター所報ふくしま No.43(S54/1979.10) -025/034page
決の方策を学習指導案の中に位置づけるのが難しい,ということになるであろう。
いや,そうではなくて,問題点2)は,実はそのもう一歩前の「研究主題の解決」の方策が,明確に具体化されないところに起因しているのではないか。これが具体化されていれば,それを学習指導案の中に位置づけることは,そう難しいことではあるまい。したがって問題点2)は,「研究主題の解決」の方策を,明確に具体化することによって,解決されるであろう。
だが,本当にそうであろうか。もしも,「研究主題の解決」の方策が,その時点で考えられなかったら,上の論は成り立たぬであろう。
問題点2)の原因は,実にこの,解決策が考えようもない,漠とした研究主題そのものにあったのではないか。
授業研究における望ましい研究主題とは,当面解決がせまられている学習指導上の問題点,または,より高い効果をねらった指導法等に関することなどを対象として,ここから取り上げた事柄について,これから研究しようとする内容を端的に表現したものであり,それは,本来具体的かつ限定的なものであるべきである。したがって,問題の大きすぎる研究主題,概括的,一般的,抽象的な研究主題はすべて失格である。これらの失格主題を単に形式的に掲げたとしても,もともと具体的な解決策は見出せるはずはないのだから,これらが,本時の授業と直接どうかかわっているかが“見える”学習指導案など書けるはずがないであろう。
逆にいうと,学習指導案の中に,具体的な解決策が見出されないような研究主題は,研究主題になり得ぬであろう。
問題点2)「研究授業の学習指導案の作成が難しい」というのは,この研究主題の選び方が難しい,ということではないか。5.問題点3) 「授業のねらいが,どれだけ達成されたかの判定が難しいこと」についての分析
紀要第34号によれば,授業研究の観察の段階における記録の方法については,「観点を決め,手わけして逐次記録をとった」と回答しているのが,小学校で75%,中学校で65%もあり,このことから,授業を客観的にとらえようとする努力が十分にうかがわれる。しかし,これらの客観的な記録をもとにした事後研究の段階で,問題点3)「授業のねらいがどれだけ達成されたかの判定が難しい」と回答しているのは,どうしたわけであろうか。
問題点3)も,実は2)と同様に,失格主題に起因しているのではないか。
失格主題をもとに作成された,漠とした学習指導案による研究授業では,もともと,研究主題が具体的に本時の授業とどうかかわっているかが不明だから,どの場面で,何を,どんな方法で観察・記録するかの視点も定まらず,結果として,一体何を意図した授業研究であったのか,事後研究の段階で,いたずらに困惑するばかりであろう。
このように,研究主題のよしあしは,授業研究の成果を大きく左右する。研究主題をどう選ぶか。授業研究実施の際は,まず研究主題の研究を十分行って出発しなければなるまい。6.研究副主題と仮説の設定
問題点2),3)の原因は,研究主題そのものにあったと思われる。すなわち,研究主題が,失格主題であったことがその原因であったと考える。
とすれば,これらの問題点は,具体的で,限定的で焦点化された研究主題を選ぶことによって解決されるであろう。すなわち,適格主題を選べば,これと本時の授業との関連が明確になり,研究主題の解決策が具体化され,それらを学習指導案の中に明確に位置づけることができ,問題点2)「研究授業の学習指導案の作成が難しい」は解決されるであろう。
また,そのような学習指導案による研究授業では,研究の意図も明らかであり,授業観察の場面,視点方法も定まり,その結果,限られた時間での事後研究において,授業のねらいがどれだけ達成されたかの判定も効果的になされ,まとめが焦点化されるであろう。このようにして,問題点3)も解決されるであろう。
わたしたちは,問題点2),3)の原因をこのようにつきつめることができた。次には,当然「授業研究の研究主題をどう選ぶか」が問題になった。しかし,これに対しては,すでに述べた「適格主題を選ぶこと」で良いとし,それよりも,「適格主題を選んだとして,それの解決策を,具体的にどう学習指