福島県教育センター所報ふくしま No.43(S54/1979.10) -027/034page
随 想
ヨーロッパ旅行で考えさせられたこと
科学技術教育部 亀 岡 一 俊
英 国 で
夢にまで見た,霧の都ロンドン市街は,意外と黒ずんでいた。赤煉瓦と石材・コンクリートの建物が長年月の間,媒煙ですすけたからだという。街には歴史に名高い公園や宮殿・寺院・博物館などの遺跡が,近代建築の中に散在し文化都市の美観を呈していた。
ウエストミンスター寺院やバッキンガム宮殿を見学したのち,私たちはロンドン市内の小綺麗なレストランに入り昼食をとることになった。食卓につき,室の装飾など見渡していると突然,仲間の一人が「あれ! これはミシンだ。」と言って食卓の下を指さした。なるはど,あらためて食卓を見ると,以前は家庭で使い古したと思われるミシン台である。これらのミシン台を幾つか並べ,その上に白の麻布をかけてあるだけで,擦り傷や器具の取り外した跡,はては足踏のついた食卓も混っていた。
しかし,ほどよい照明がなされ,壁に鹿や牛などの剥製を配置し,室の奥に甲冑など飾ってあるこのレストランの雰囲気に,ミシンの食卓が実によく調和していたのである。「さすがは英国だ」誰いうとなく感嘆の声があがった。
これに類した情景は,この国では随所に見受けられた。たとえば,私たちが投宿したホテルはロンドンでも一級クラスのホテルだそうだが,ここのエレベーターに乗って驚いた。片手開き・伸縮格子戸つきのエレベーターで,昇降する際の動きも些か円滑さを欠き,日本では殆んど見かけられなくなった代物である。そういえば,ホテルの内装も巧みに繕ってはあったが,施設そのものは決して近代風ではなかった。
この国は,歴史的遺跡を大切に保護しているばかりではなく,古き良きものは,衣服であれ調度品であれ,はたまた習慣・伝統も含め,現代の日常生活のなかに生かし,すんなりと融和させている。そして,それが不自然を感じさせない。
ファッションはファッションとして,たとえば,自分に相応しい衣装があればそれを身につけ,個人の好みと個性を生かすのだという。空港ロビーで
ヨーロッパ旅行では「予想外のことがよくおこると,ガイドブックに書いてあったが,空港でそれらしいことが二度おこった。航空会社のストライキで二時間,気象条件が悪いというので四時間,ローマやギリシャの空港で待たされた。
待っている間,それとなく乗客を観察して驚いたことは,広いロビーに群がっている乗客に,日本人が滅法に多いことであった。その殆んどが私たちと同様に団体旅行者であった。いずれの国の旅行者も思い思いの行動をとり待機している。私はこの際,日本人とヨーロッパや他の国の人たちの動向を注意して比較してみようという気になった。
こう言うと失礼だが,ある日本の団体客はひっきりなしに時計を見たり,何やらつぶやいたり,立ったり座ったり,焦燥している様子がありありとわかる。ヨーロッパの旅行者が,新聞や雑誌を見たり,軽い睡眠をとったり,ゆったり落着いて待機している態度とは,まったく対照的な感じがした。
こうした状況は西欧のいくつかのレストランで経験した食事風景にも認められた。ヨーロッパの人が一時間半もかけて,談笑しながらゆっくり食事を楽しむのに対し,大かたの日本人は,ひと皿,たとえばスープが出されると,ものの四〜五分でこれを食べ,あとは手持ちぶさたにあたりを見渡している。次々に出される料理も,これまた飢えた犬のように,またたく間に平げてしまう。スープのすする音,フォークやナイフをガジャガジャ鳴らして,すさまじい食べ方である。「食事は音をたてずに,ゆっくりいただくことです」と英国の食事マナーの本に書かれていたが,同胞として赤面の至りである。
われわれ日本人には,ゆっくり時間をかけて食事を楽しんだり,待つ時間を寛いだりする習慣がないかもしれない。それにしても,どこの国へ行っても,ゆとりのない,せかせかした日本的性格を出し過ぎるような気がする。もし,これが氷山の一角であるとするならば,よその国の風習に合わない,いわゆる「ヨーロッパにおける異邦人」として,ひんしゅくを買うのを恐れるのである。