が大切です。
「きびしさのある集団」というのは、定められたきまりを守らないものに対して、容赦なく集団で罰したり、自己批判を求めたり、教師がきびしく罰則でそれを管理したりする集団ではありません。たとえば、校内スポーツ大会や音楽祭でよい成績をおさめたいなどという共同の目標を遂行するため、アイデアを出し合ったり、役割を分担しながら、必要な約束や規律を守るという目標達成の機能と、成員がその集団に愛着を感じ、所属感を感ずる集団の維持機能とが補完しながら十分に集団の目標が果されている集団をむしろ「きびしさのある集団」と言うべきでしよう。このような集団であってはじめて、隼団の規律の意識が高められ内面化されてゆくからです。
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問い 17
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自主的集団活動を育てるにはどうしたらよいでしようか。
[答 え] 自主性をもつということはどういうことか、いろいろな概念規定や解釈がなされていますが、およそ、次のような立場にまとめられます。
(1) ひとりひとりの人間存在をかけがえのないものと考え、自分を大切にするとともに、他人の立場や役割を尊重する。
(2) 常に自分の決断にわいて行動し、自分の行動についてはみずから責任をもつ。
(3) 自分は完成の途上にあるという自覚から、自分の立場や役割に努力するとともに、常に他人の考えをとり入れて向上してゆく。
それでは、自主的集団活動を育てる条件としてはどんなことが考えられるでしようか。
○ 各集団活動の性格に応じて、児童・生徒の理解を深め、それぞれの集団活動を児童・生徒が主体的に行えるように指導する。 |
教師が「自発的・自主的に活動せよ」と口では言っても、子どもの側で、「自分たちが何かしようとすると先生は『先生に相談せずに勝手にやってはいけない』といって活動を押える」と、認知しているとすれば、子どもたちの、集団活動の性格や、活動のルールの理解がまだ不充分だと考えるべきでしよう。
○ 集団活動の中心をなす話し合い活動の改善を図り、コミュニケーションを活発にする。 |
子どもたちが語し合いにおいて、発言しない理由として、「言うことが思いつかない」「なんとなく発言するのが恥ずかしい」ということがよくあげられますが、これらのことの背後には、「自分の発言をみんながよく聞いてくれるだろうか」「間違ったことを言って非難されたくない」といった疑心がある場合が多い。したがって、「誰の意見もよく聞き、それをよく考えてみよう」という指導が大切になってきます。また、語し合いを進めるテンポが早すぎて、よく考え自分の意見をまとめる余裕に乏しいことも語し合いを深める妨げとなります。また、外見的には話し合いが活発に行われているように見えても、心の交流に欠けることも少なくありません。とくに、多数決による採決の乱用が主体性を疎外し、コミュニケーションを妨げている場合もあります。多数決によって結論を出してもよいものと、よくないものを区別する必要があります。
○ 集団活動における個々の生徒が、さまぎまな感情をもって活動していることを理解しつつ集団ならびに個人の指導を行う。 |
子どもたちは、友人から排斤されたり嫌われたりしてはいないか、友人から能力が低いと無視されたりしないか、というような不安や括それ、また、自分の発言がみんなから認められた、自分のことを友人が真剣に考えてくれているといった喜びなど、さまざまな感情をもって活動しています。このような感情を教師がしつかりとうけとめ、集団活動に参加する喜びを高めていくことが必要です。
要するに、自主性は「なすことによって学ぶ」( learning by doing )ので、観念では育ちません。日常の集団活動を通しての経験や実践が重んぜらるべきでしょう。