福島県教育センター所報ふくしま No.46(S55/1980.6) -012/038page
− 生徒指導(その5)−
「ほめること」「叱ること」 経営研究部 原 洋
斎藤 洸旦
[問い 18] 「ほめること」「叱ること」の教育的な意味について知りたいのすが。
[答え] 子供を「ほめる」とか,「叱る」といったわれわれのごく日常的な,子どもとの交わりの中での行為も,必ずしも常に,教育的自覚や配慮のもとに行われているとは限りません。また,核家族化が進み,経済的にも豊かになって,とかく過保護におちいりやすい現代の社会では,「叱れない親」「叱れない教師」がふえているとも言われます。
とくに,「親に叱られて自殺した」とか,「教師に叱られて登校拒否になった」とか,自殺や家出,登校拒否などの原因を浅い層で「叱る」ことと結びつけてうんぬんされると,叱りたくても叱れない気持ちにもなります。いわば叱ることの必要論と讐戒論とが混在しているのが現状です。一方,ほめることについても,ほんとうに,ほめ方の上手な親や教師は案外少ないようです。
しかし,「ほめること」と「叱ること」,また,両者のバランスをはかることが,子どもの人格形成にとって非常に重要な意味をもつことは古くから言われています。
もともと,子どもの日常生活は,大人のそれとは比較にならないほど,日々新しい経験に向かっての矛盾と葛藤に満ちたものです。子どもの行為を「ほめる」ということは,その子どもの冒険や企てをはっきり肯定し,その正当性を保障することです。ほめられることによって子どもは自信をもち,落着いて次の企てに集中し,また,追求すベき理想や行為の規準を学んでゆくわけです。とくに,幼児期には,ほめられることによって,依存欲求が適度に満たされることは,安定した情緒をうるために不可欠の要件となり,それは青年期の精神的危機をのりきる際まで深いこんせきを残すと言われています。「ほめること」は、また,「賞賛は教育者の権威を強め,子どもの従順を増やす」と,ガイスラーが言っているように,子どもの心に与える共感が反抗心を和らげる作用ももっています。
また,「叱ること」は「ほめること」と同様,子どもの人格の社会化に重要な意味をもっています。子どもがときに右かす逸脱,反抗,違反,不服従などをきょうせいし,社会化の正道にのせるのが「叱る」ことの教育的意味だと言えます。叱ることによって子どもに日々の生活の「新生」や「覚せい」を促すことは,子どもの人格の社会化を注意深く見守る親や教師には,当然要求される行為と言えます。「生徒の自覚にまつ」だけでは時宜を失することも多いでしょう。「何かを真に学んだ」と言うとき,それはしばしば「当然の痛い目に合った」「耐えねばならない苦しみを耐えぬいた」ことを意味し,「分別」はしばしば「懲りる」ことから生ずることを思えば「叱る」ことの必要性も理解できます。
[問い 19] 「よい叱り方」「わるい叱り方」とはどのようなものをいうのでしょうか。
[答え] 「よい叱り方」「わるい叱り方」といっても,一番大切なことは,叱る「技術」ではなく,「心」だと思います。子どもと親や教師との根底にある心のつながりがうまくいっていれば,叱ることもその効果が上がりますが,子どもの心の理解が不充分であるときは,効果は上がりません。
心理的効果が期待できる叱り方の条件をあげてみますと,
1. 子どもの心理的発達段階を考える。
幼児期,学童期,青年期と,それぞれの発達段