福島県教育センター所報ふくしま No.46(S55/1980.6) -013/038page
階に適した叱り方が考えられねばなりません。それは子どもの心理的発達段階で,叱る意味が違って子どもに受けとられるからです。
2. 結果よりも動機を重んずる。
処罰は行為の結果を重んじますが,価値の内面化を図り,子どもの道徳律や人生観の基盤をつくろうとするためには,むしろ動機を重んずる叱り方が有効です。
3. 子どもの主体性を育てる叱り方をする。
子どもの良心に基準をおいてものごとの是非善悪を判甑させるような叱り方がのぞまれます。「罰せられるから」「世間体がわるいから」「親の立場がない」といった外的規準によってある行為を禁止するのは良心をぽんとうに育てることにはなりません。
4. 叱ったあとの償いを忘れない。
「罪を憎んで人を憎まず」といいますが,くどくどと叱らず,さっぱりと切り上げて,行為の非は叱っても,人間としての価値や人間愛は再確認し保障するき葉や態度を示してやることが大切です。少なくとも,次のような叱り方はさけた方がよいでしょう。
(1)興奮のあまりみさかいなく叱る。
(2)くどくどとしつこく叱る。
(3)他のみせしめのために叱る。
(4)他人が叱るのに便乗し,いわば「しり馬にのって」叱る。
(5)本人に責任のもてないことを叱る。
(6)子どもがすでに反省しているのに叱る。
(7)利己的な理由によって叱る。
[問い 20] 幼児の叱り方ではどんな点に注意すべきでしょうか。
[答え] 前にのべたように,幼児期はとくに親や教師に対する依存欲求の強い時期です。この依存欲求を適度に満たしてやることは白律心や安定した情緒の育成に欠かすことのできない条件となります。したがって,のぞましい行為はすかさずこれを受容し,認め,ほめてやることが大切です。
しかし,社会化の経験の浅い幼児の行動には,他人に迷惑をかけたり,生命の危険を伴うような行動も多くみられるところです。これらの行為は叱ってやめさせなければなりません。その時も行為は叱っても感情は受け入れる態度が必要でしょう。叱ることと,ほめることのバランスを考え,叱ったあとも,それがなぜ悪いのか納得させる対話が必要です。
[問い 21] 青年期の叱り方はとくにむずかしいといわれるのはなぜでしょう。
[答え] 青年期は自我の確立の時期であり自己同一性にめざめる反面,「自分は一体どういう人間なのか」と,自己の存在理由を根底から問い直そうとする,(「アイデンティティの拡散」に悩む)時期でもあります。またホルモンの影響もあり自律神経は過敏となり,感情の振幅もはげしくなります。白尊心も強くなる反面劣等感に一脳む時期でもあります。大人と子どもの境にある,という意味で心理的境界人(マージナルマン)ともいわれます。大人の価値観に対する反抗や反発が強い反面,
「先生,聞いて下さい
ぼくらの悩みを,不平を
先生,話して下さい
あなたの青春の夢や希望を
先生,叱って下さい
ぼくらの過ちやサボリを
先生,教えて下さい
わかるまで,果てしない人生のつらさ厳しさを」*
という中学生の詩がもの語っているように,教師や親からはっきりした人生観や処世の方針を示してもらいたいという強い要求ももっています。
青年を叱る場合は,「だめな人間」というレッテルをはることをせず,行為の外形をいたずらに責めないで,生活態度そのものを,また人生観において正すべきものを,確固たる態度で叱ることが大切です。また,安易に処罰にうったえようとする態度は生徒指導の立場からは厳につつしむべきです。(処罰と「体罰の禁止」については稿を改めてのべます)
*上寺久雄著「父親の出番 ― その教育的役割 ― 」(黍明書房)