福島県教育センター所報ふくしま No.47(S55/1980.8) -003/034page

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けられている。

 マルチン=ベハイムはコロンブスと同じように, 大西洋を西へ航海してアジアヘ達したいという希望 に燃え,スペインやポルトガルの王室を歴訪してス ポンサー探しに熱中したが,コロンブスとは異なり ついに失敗し,1490年には故郷のドイツ南部のバイ エルンに引きかえしている。コロンブスの新大陸発 見と,かれのこの地球儀の誕生とが同じ1492年であ るのは奇縁というべきで,地理的発見時代が到来し ようとする前夜の,当時のヨーロッパの人々が抱い ていた世界像が如実に示されている。

 かれのアジアについての知識はマルコ=ポーロの 「東方見聞録」に負うところが多いといわれ,ジパ ング(Gipangu,日本)は中国の東方海上25度の距離 にあって,北回帰線上に位置づけられていることは 興味深い。当時,ヨーロッパ人にとって既知の世界 の最西端はベルデ岬で,地球儀上でベルデ岬と日本 の航海がかれらの夢であったわけであるが,その間 の道のりが過小に評価されていたことは,なにより もこの地球儀がそれを示している。

 我が国で作られた最古の地球儀は,尾張藩の儒臣 深田正室が1631年(寛永8)に作ったものとされる。 しかし現存するものは,暦学者渋川春海(安井算哲) が1698年(元禄11),マテオ=リッチの万国全図をも とに試作したものである。

3 経線・緯線の観察

 地球儀上で経緯線のようすを正しく観察しておくと,世界地図を使うときに,そのひずみの状態で地図の特徴を読み取ることができるから,読図指導上大切なことである。

 経線は両極を結ぶ直線で,どこから数え始めても よいわけで,古くは周によってまちまちであった。 日本の伊能図では京都西三条の改暦所あとを通る経 線を0度とし,フランスではパリを通る経線を0度 とするというように,各国の首府を通る経線を0度 とした。これでは不便なので,1884年(明治17年)の 国際会議でロンドンの西郊にあるグリニッジ天文台 を通る経線を本初子午線ときめた。

 経線と緯線とが地球儀上でどのような性質と関係 を持っているかを列挙すると次のようtこなる。

 地球儀が満たしているこれらの条件をすべて満足させる世界地図はない。世界地図には必ず長さのひずみ,面積のひずみ,角の大きさのひずみが生じているから,この条件と対比しながら地図の特性を知って使用することが大切である。

 地球儀上の経緯線を地図上に移すことを投影するという。古来,さまぎまな投影のしかた,つまり投影法が多くの地図学者によって考察されてきた。そのうちあるものは時とともに淘汰されて姿を消し,またあるものは,その価値が認められて今日に及んでいる。

4 球としての世界認識

日米の位置関係
日米の位置関係 (文献2.P6より))

 上の図は, 地球儀とメル カトルの世界 地図を見てい た小学生が, 両手を使って, 日米の位置関 係を表したも のだが,下の 方は球として の世界の認識になっている。以下,小学校の高学年 を対象に地球儀の活用例をあげてみよう。

(1)半球に分けて日本の位置をとらえる。

●赤道を地球儀で確認しながら,北半球と南半球に分けられることを知り,日本は北半球に属することをとらえる。

●経度0と180度の経線をたどって,地球を東半球と西半球に分けられることを知り,日本は東半球にあることをとらえる。


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