福島県教育センター所報ふくしま No.47(S55/1980.8) -011/034page

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−生 徒 指 導(その6)−

新 教 育 課 程 と 学 校 行 事

経営研究部   原       洋
佐 藤 信 義

〔問い 22〕 「ゆとりの時間」と,特別活動と の基本的なかかわりについて,どのように考えたら よいでしょう。

〔答え〕    「ゆとりの時間」の運用の基本は 自校の教育目標の具現化にあります。

 とかく失われがちな,地域社会での教育をとりもどそうと,たとえば,竹馬大会,たこあげ大会,学校田作り,たて割り集団でのふれ合いなど,遊びや勤労体験を重んずる学校行事を復活させようとする試みが多くの学校にみられることは大変よろこばしいことですが,これらの教育活動も,自校の教育目標の具現化の一環としてとらえるべきです。

 本来,教育目標は,教育活動の全領域で行われるべきもので,たとえば,「心豊かで,実践カのあるたくましい子どもの育成」が,教育目標にかかげられたとしますと,それは,各教科はもちろん,道徳特別活動,その他の学校内外での子どもの全生活場面で,その具現化をはかるよう配慮すべきです。

 その場合,たとえば,特別活動の分野で,プログラム委員会や学校行事の準備に,時間がたりず,それが子どもの実践力の向上の阻害要因になっているという事実があれば,そこに,「ゆとりの時間」を配分するといった工夫がのぞまれるわけです。

〔問い 23〕 新しい教育課程の中で,特別活動 を,学校行事を中心に運営していこうとする考えが ありますが・・・・。

〔答え〕    新学習指導要領にみられる新しい 教育方向は,「子どもの立場に立つ教育内容の精選 」「自ら考え正しく判断出来る力の育成」であり, これまでの知識伝達中心の教授法を変え,新しい方 法を工夫することが,これからの学校経営の課題で す。

 そこで,今までの学校行事をふり返ってみますと,「学校行事の精選」という面が強調され,学校行事で授業をできるだけつぶさないようにという配慮が優先して来たように思います。「授業がつぶれる」という発想には,学旅行事を単なる遊びと考え,学校行事にあまり積極的な意味をおかなかった傾向がうかがえます。たしかに,今でもクラブ活動などの効果を,「一服の清涼剤」としてとらえる見方もあります。しかし,もう少し本質にたちかえって,学校行事の意義を考えてみることも大事でしょう。

 ポルノウは,入学式と卒業式について,「それは 1つの《祝い》である。」とし,「人間が生まれてから 今日まで生き続けて来たこと,これから未来に生き ていこうとすること,その生きることの尊さと深さ を祝うのである。」といっています。また,運動会や 学芸会について,「それは《祭り》である。」とし 「《祭り》は,今日に生きることをみんなで喜び合 い,楽しみ合うのであって,それに付随した他の教 育的ねらいをもたせてはならない。全員が我を忘れ て,すべてを開放した自由なふんい気で催される必 要がある。」といっています。さらに、遠足につい ては,「人間のもつ,日常ではかくされている本来 の姿を知り合い,自然と調和して生きるべきことを 知らせるもの」とのべています。

 要するに,学校行事とは,「人間が生きているということにかかわり合いながら,日常の授業では果たすことのできない何かを果たすもの」と,言えるかと思います。

 ところで,特別活動の中で,何を中核こして,各 内容の関連づけを図っていったら,最も効率的な無 理のない年間指導計画が作成でき,よりよい展開が できるかと考える場合,2つか3つの学校行事を中 核として,持別活動の全体計画を立てるのは大変よ い考え方と言えます。

 たとえば,秋の運動会を学校行事に選んだ場合を


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