福島県教育センター所報ふくしま No.48(S55/1980.10) -014/034page

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(教育相談)

学校教育相談を見直すための提言

教育相談部     佐 藤  晃 暢

1.はじめに

 各学校では,年度進行による新教育課程への移行が改訂の趣旨をふまえてすすめられ,「ゆとりあるしかも充実した学校生活の実践」をめざし着実な営みが行われている。知・情・意・体の調和のとれた全人格的発達を図ることを基本目標とする学校教育において,児童生徒ひとりひとりが持つ発達課題に的確な援助を行い,自己実現を促進させるためにも学校教育相談のはたす役割は大きなものがある。そしてまた,品川不二郎氏は「学校教育相談は,教師の教育への情熱を燃やさせ,教育への意欲を盛り上がらせるようなものとしての役割をはたすべきである。」といっている。これらの役割から,学校教育相談の現状を見直してみたい。

2.学校教育相談を行う上での確認

 学校で行う教育相談は,当センターや,クリニック機関で行う教育相談と異なる。それは,

-1. 日々教育活動が行われている学校という場で教育活動の一環として行われるものである。 

-2. ある特定の子供,指導を要する子供を対象としたものではなく,すべての児童生徒の人間的成長をめざすもので,学校教育相談の一つの技法としてカウンセリングがある。

-3. 教師の枠,カウンセラーの枠を共に超えて,教育という共通の原点に立った協力関係を基盤として行われる。

これらの三点を確認することが必要である。

3.開発的立場でとらえる教育相談を

 現在学校で行われている教育相談が,治療的カウンセリングに片よりすぎていないかどうか反省したいものである。治療的指向を否定するものではないが教育相談は,非行対策,あるいは学級の中で問題視される児童生徒に対して行うという考え方が支配的であるということを問題にしなくてはならない。教師にとって・問題がない児童生徒とはどんな児童生徒なのか・個々の児童生徒の発達段階からみて,開発すべき時期に,その能力の開発がなされるための援助が行われているのかということを教師自身が問い直してみることである。

このような人間観をもった教師は,臨床的立場や,治療的立場から客観的,論理的に児童生徒がもつ問題のサインを見逃がさないということよりも,全人格の発達という面から開発的な立場での教育相談を指向するものと思うのである。

4.受容的態度で共感的に理解するということ

 受容とか,共感的理解ということは,学校で行われる校内研修や,各種研究会では必ずといっていいほど耳にする。問題は,この受容,共感的理解ということが「ことば」としての理解にだけなっていないかということである。

 ◆カウンセリングテープから

   (主訴・非行) 来談者・中学校3年女子

   ※K=来談者,C=カウンセラー

K ・親だからって,何ていうのかなあ,世間ていを気にしすぎるっていうのか・・・・人のことを比べたがる,すごくいやだな。
C ・あなたと別の女の子を比べるということね。比べられるととってもいやな感じがするわけ。
K ・親だからって,どうしても知っていなきやいけないとか何とかいっているけど,結果は監視してるんでしょ。
C ・親だから知っていなければならないことはわかるけど,それ以上にこう監視するということね。 
K

・例えば,どこかに出かけるといったらさ,普通だったら,ああそうという感じじゃない。じや,お金いるのって感じで・・・・だけど家のお母さんはどこへ行って,誰とどう,何時ごろ帰ってきて・・・・そんなこといったって,いつ帰るかなんてわかる


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