福島県教育センター所報ふくしま No.48(S55/1980.10) -015/034page
K ・わけないのに。そういうこといわなきゃ別に帰ってきた時に,どうだったということを話するんだけど・・・・わざとむこうがきくから話す気もないしね。 C ・根掘り葉掘りきかれるので,逆に話する気になれなくなっちゃう。そんな状態が続いているの。 K ・今までそんなに話をしなかったから,やっぱり お母さんと時代が違うっていうか,くい違うし,むこうはわかるわけないから。・・・・ああ,しょうがないっていう感じで。 以下他の友人の家とくらべて,自分の母は口やかま しく文句ばかりをいうことについて,彼女なりの不満が訴えられた相談のケースである。
この研修会でテープ聴取後,次のようなことが各先生方から協議題として出された。(T=教師)
T1 ・母親に文句をいい,自分の行動を全然反省しないこの生徒に, 相談に当たった教師はどこでその答えを出せばいいのか。 T2 ・このケースでは,どんな指導が大切なのか,本人の言い分をきくだけでは甘やかす結果になり, 本人のためにならないのではないか。 T3 ・受容すること,共感的に理解することは必要であり大切だとは思うが, この生徒の場合カウンセラーのような「くり返し」や「問題点の要約」のようなことだけでよいのか。
このようなケースは各学校でも,よく扱われる。そしてまた,この先生方の疑問と同じような疑問を持たれる先生方も多いのではないだろうか。しかし,ここで,考えなくてならないことは,
- どこでその答えを出せばいいのか → 答えとは教師の説得であり否認的な指導姿勢ととらえていること。
- 本人の言い分をきくだけでいいのか → きいた限りは教師もいわなくてはとする教師の構え
- この生徒の場合 → 受容し,共感的に理解することに,この生徒,あの生徒の場合というような対象の限定はあるのか。
- 「くり返し」や「要約」のようなことだけで → 単なるリードの技術としての概念理解にとどまっていないか。
ということである。外からの人間形成を否定するも のではない。両者に許容的関係があり,来談者に洞 察と理解が生じた段階での説得は効果がある。 しかしその前提として,この生徒の母に対する感情 や攻撃的に出る時のゆがんだ気持ちを理解し認めて やる。そして感情的オブラートに包まれている自分 を自分の力で破り,自己理解を深め,他人と自分に 対してより誠実になり得るように援助してやること が必要であり,この生徒に応える教師ではないかと 思う。答えるということは応える教師でありたい。
5.主観的理解の活用を
相談を行っていく上で,教師による主観的な児童生徒理解だけでよいか,また調査結果による客観的な理解とどちらを優先すべきなのかということを問題にする場合がある。この場合,どちらが正しいのか,どちらを優先するのかが問題ではない。どのような理解の立場をとったとしても,ひとりひとりの児童生徒を幅広くとらえるための情報の一つであり,むしろ主観的な理解に止まって活用が図られないことを問題にしなくてはならない。
神保信一氏は,次のように述べている。
「1日,一人でも二人でもいい。一行でもいいから 教師の目でとらえた子供について書きなさい。そし て1週間か10日たった時に見直してみなさい。子供 について否定的なことばかり書いてあったなら否定 的な見方をしている教師自身をみつめなさい。そし て肯定的なことをみつけるよう努力しなさい。
また,いつもメモにのる子供とのらない子供がい たのなら,自分のメモに登場しない子供をみるよう に努めなさい。
主観的理解を狭くせず,主観的理解を客観化し, どのような働きかけを,どんな言葉かけをするのか を子供の気持ちや動きに目をむけて考えることから 教育相談ははじまるのです。」真に当を得た実践への提言である。
6.おわりに
学校教育相談は,相談のみが先行したり,一人歩 きするものではない。授業の中で,諸活動の中での 人間関係が成立しているところに充実が期待される。 技術や方法で結ばれる人間関係ではなく,人の,「 あり方」と「あり方」の関係がその基本となるから である。各学校で,すべての教師が,もう一度,自 校の学校教育相談の現状をふりかえり,問題点をほ りおこしその改善策を考えて実践してほしい。