福島県教育センター所報ふくしま No.49(S55/1980.12) -010/034page

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機会や身分の得喪をともなうものであるから慎重を要するとし,「学校の体面にばかりこだわったり,他の生徒への悪い影響を過大視したりして,性急に隔離的ないしは追放的な処置をとるというようなこと」が,あってはならないと戒めています。そして,正しい処置のあり方として,

「(1)形式的,機械的な処置であってはならない。
 (2)感情的,報復的な処置であってはならない。
 (3)不公平,不当な処置であってはならない。
 (4)安易,無責任な処置であってはならない。」
としています。

生徒指導の立場からすれば、これらの処置の前後の生徒指導こそ本命であって,かりにも,法的処置で指導処置が終わったとする考え方は,もっとも,生徒指導の趣旨に反するものと言えるでしょう。

法や規則は、いわば,「両刃の剣」または,「伝家の宝刀」であって,用い方によっては危険を伴うものであり,用いないですめば,これにこしたことはないわけです。

懲戒は,その生徒の生育歴,性格,動機,家庭環境,他生徒との関係,その行為の背景,身体の条件,心理的情況,その生徒に対する指導過程など,さまざまの要因から多角的,個別的に,また,長期の展望にたって考慮すべき指導処置であるべきです。

とくに,「青少年の非行は,大人の犯罪の予備軍ではない」と,言われています。性格形成途上の青少年については,常にきょう正の可能性を前提とする処置であるべきでしょう。

また,生徒とのかかわり方,接し方という面からみれば,はじめから,懲戒処分をほのめかすような指導は,マイナス効果の方が多いことが指摘されています。懲戒の生徒指導的効果は,常に考慮されねばならず,懲戒が動機となって,さらに非行に追いやったり,自殺にいたるようなことは、絶対にあってはならないことです。

前号でもふれたとおり,高校教育は今日,94%以上の進学率で,非常に多様な能力の生徒をかかえています。学習不適応の生徒と非行の関係がいろいろ問題とされています。このような問題情況にかんがみるとき,学校教育法施行規則には,「学力劣等で成業の見込みがない者」は退学させることができると規定していますが,今日ではもはや,この規定そのものが,実状に合わなくなっている感を深くします。従来の学力観には、多分に,生徒の発達状況の個人差を,即,固定的な能力とするあやまりがなかったでしょうか。生徒指導体制の強化はもちろん,いわゆる「落ちこぼれ」を出さないための,教育課程の弾力化や授業改善,学力や評価の考え方の再検討,教育目標自体の再検討など、要するに,退学者を出さないための学校経営の新しい創造と工夫が緊急の課題として提出されていると言うべきでしょう。

〔問い33〕 いわゆる「自主退学」が問題とされていますが………。

〔答え〕  自主退学といわれるのは,退学処分によらず,自発的に退学願(届)を出して学校をやめることです。

今日,退学はぼとんどが懲戒処分によらず,いわゆる自主退学のかたちをとるものが多く,その原因は,学習意欲の喪失や成績不振が大部分です。

いわゆる,自主退学についても,前述の退学処分一般に対する留意事項がそのままあてはまると思われますが,とくに,その手続において、例えば,親や本人との納得の上で行われているか,という疑問が出されています。

親や本人に,もしも,次のような不満がのこるとすれば,その「自主退学」は,あまりにも安易になされていると言えないでしょうか。

例えば,親が突然学校によび出され,担任,学年主任,生徒指導部長などに,「このままでは、退学処分にするしかないが.自発的に身をひけば処分はしない」と言われ,または組主任から、「この成績では卒業はおろか,進級もできない。退学して進路変更したら」と言われ,不本意ながら退学届に署名した,といった場合です。

いわゆる自主退学についても,少なくとも次の手順をふむ必要があるでしょう。


[1] 必ず組織で検討し、校長の意志を確かめる。
[2] 事前の指導を十分に行い,指導過程は,その都度,保護者に知らせて協力をうる。
[3] 生徒自身の意志を確認し,本人が納得したうえで届を出させる。
[4] 退学したあとの就職や転学などについても十分協力し,本人の更生をはかる。


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