福島県教育センター所報ふくしま No.49(S55/1980.12) -032/034page
随想
刻印づけ
教育相談部 横内 直典
この間,NHKテレビを見ていたら,丁度「ローレンツ先生と動物たち」というのが放映されていた。その中で、離巣性のあるアヒルのひなが,若い女性の科学者の後を,歩みもあぶなかしく,よちよちと追従して歩いている姿を写し出されていた場面があった。この光景のところを,テレビのナレーターは,「インプリント」と軽く流していた。しかし,このことは,動物に限らず,人間においても,社会性の発達を考えた場合,非常に重要な意味をもつものなのである。
インプリント(inprint),すなわち「刻印づけ」は孵化(ふか)したばかりのひな鳥に,何か動きまわる対象を見せると,あたかもそれが親鳥であるかのように追従して,外のものには見向きもしなくなる現象である。
この現象を発見したローレンツ(1903年〜 オーストリア 比較行動学の権威者)は,刻印づけにおいては,(1)発達の初期のごく限られた短かい期間におこること,(2)反復練習を必要とせず,ただ1回限りの短時間の提示によって成立すること,(3)この特定の期間に成立した刻印づけの効果は,永続的で後戻りがきかない性質をもっているなどの特徴をそなえているといっている。
人間は大人になるまでの過程で,乳幼児期が重要であるということは,「三つ子の魂百までも、氏より育ち」と,昔からいわれているとおりである。
人間は他の動物と違って,子供の期間が長く、「おぎゃあ」と生まれてから1か月位の間は,人間であっても人間でない存在であるといっても、決して過言ではないだろう。それは,ほとんど無条件反射だけで生きているといってもよい。空腹になれば,本能的に泣くし,乳を与えれば,満腹するまで,きゅうきゅうと吸う。また,手に何か持たせると,ぎゅっと握る。まさに動物的であり、そこには知能や意識の働きが作用しているわけではない。母親の顔も,もちろん識別することができない。ただ,生きて呼吸をしているだけの存在にしかすぎない。
このような赤ちゃんが,新生児の終わりごろから,つまり,1か月目ごろから,微笑反応が始まるのである。人間における刻印づけの時期は,微笑反応から2か月から6,7か月ごろと推定されている。この時期に,親,特に母親は子供にどうかかわっているだろうか。
一般に動物をみると,常に子供のことに身を挺して育てる時期があり,その間は,自分の危険をかえりみず,子供を守り,自分は倒れてもという時期なのである。人間の場合も,親がなんの理屈もぬきに,育児に専念して,全く自分というものを捨ててかからなければならない時期が必要である。
それは、赤ちゃんをよく見つめることから始まることだと思う。よく見つめるということは,無心になって変な先入感を取り除くことから始まるものである。その上で,何か思うことがあったら、どう対処すべきかを,親として考えればよい。最近の母親は,すぐに自信をなくし,なにかあると,育児書を頼りにしている傾向がみられる。このことから,どの情報がわが子のためになるか困惑してしまい、子供が情緒不安定になる前に,親の方が情緒不安定に陥っているのではあるまいか。もし,どうしても考えが及ばなかったら,そこで,だれか経験者に聞くか,あるいは,そこではじめて育児書を見るようにしたいものである。
こういうことから,赤ちゃんが育っていくに従って,赤ちゃんの要求もわかるようになる。言葉は通じなくても,言葉を発しなくても,子供はまず母親とか,身近な人のことを膚で感じている。これはもう本能的なのである。これが人間における刻印づけといってよいであろう。
子供は子供なりに少しずつ発育をしていくものである。子供を育てていくのに大事なことは,子供の中に秘められている無限の可能性を伸ばしてやることなのである。決して,外からいろいろなことをつぎ込んで内容を増やしていくことではない。子供の中に含まれている内面にあるものを,どんどん伸ばしていくことなのである。つまり,子供の手を引っぱっていくのではなく、よく見守って、後から後押しするような気持ちでやっていくことの大事さを自覚してほしいものである。