福島県教育センター所報ふくしま No.50(S56/1981.2) -004/042page

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―記念号特集―

福島県教育センターの歩み

次長  高原 光雄

当教育センターは,人員,講座,施設,規模等においては,各県に比して上位に位置している。これも先輩諸氏が幾多の苦難を乗り越え,いしずえを築きあげられた賜であろう。今後共理想像に向かって努力しなければならない使命を我々は背負わされているが,記念号発刊に当たり,古(いにしえ)をしのびながら過去を振りかえってみたい。

昭和23年11月20日福島県教育研修所が県立福島青年師範学校舎の一部を使用し,設置され,その後,昭和24年3月31日には,福島県教育委員会事務局調査課分室と改称され,県立信夫高等学校の一部を使用し,教育に関する専門技術的事項の研究調査がなされたのである。

昭和27年4月1日には,同年3月20日付,福島県教育委員会規則第4号によって,調査課と分室を合併した形で福島県教育調査研究所として発足し,庁舎には当時分室が使用されていた県立信夫高等学校の校舎の一部が用いられた。所員も,所長を含め21名で構成され,内容的には庶務係6人,研究係8名,調査係7名であった。しかし,わずか2年を経た昭和29年には,8名の減員で13名となり,研究係は2名という極めて貧弱な状態になった。

その後,研究係へ調査係より2名の編入で急場をしのぎながら研究が継続されてきた。同年11月1日には,旧県会議事堂に庁舎を移転した。昭和31年6月30日に公布された法律第162号「地方教育行政の組織運営に関する法律」の第30条に基づき条例で,教育に関する専門技術的事項の研究または教育機関職員の研修,保健,若しくは福利厚生に関する施設,その他必要機関を設置することができる。とあり,研究所を設置することの法的根拠が与えられ,昭和32年3月30日に,福島県教育調査研究所設置条例が制定されたのである。

昭和33年11月15日には福島市松木町に新築された県立図書館に庁舎を移転し,昭和35年11月1日には,福島県教育委員会規則第10号福島県教育調査研究所組織規則の公布により,従来の庶務係,研究係,調査係が総務係4名,調査係5名,研究係5名に改められ,次長・係長を置くことになった。

また,昭和36年には1名の増員となって,充指導主事が割り当てられ,研究係も5名となり,本来の姿に戻ったのである。業績としては,福島県教育調査研究所であるときは,直接教育行政事務にかかわる調査に重点をおく調査課と当初教師の研修部門に重点をおいた福島県研修所が調査課の分室になると共に徐々にその性格を変えて研究所的な存在となっていたものとが合併して生まれたものである。従って合併前の調査課と分室との合併前のあり方が,そのまま当時の処務規程に,調査係,研究係となって表れている。このことから,福島県教育調査研究所の業績には調査係のものと研究係のものとがあるが,比較的研究所の性格を帯びた業績,すなわち単なる調査統計といったものでなく,その結果に対しての比較検討を,又は問題の所在に科学的な追求を加えたものであった。

昭和40年4月1日には,機構改革により,調査業務を教育庁総務課に移して,研究所としての性格をはっきりさせ,福島県教育調査研究所を福島県教育研究所と改めたのである。福島県教育調査研究所として発足以来18年の歳月を経過しているが,その間,本県における教育に関する課題をとりあげ,それを研究し,問題解決のための数多くの資料を提供すると共に,研修講座の開設などにより,教職員の資質の向上をはかるなど研究,研修機関としての目的を果たして来た。

しかし,今日の科学技術の著しい進歩と社会の急速な変化に伴い,教職員の研究,研修と教育に関るサービス機関の要請が大きくなり,昭和40年4月には,福島県教育委員会規則第6号,福島県教育研究所組織規則が公布され,福島県理科教育センターを福島県教育研究所内に発足させ,昭和40年11月6日に理科教育センターが落成したのである。


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