福島県教育センター所報ふくしま No.51(S56/1981.6) -002/042page

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特別寄稿

論 説  学習指導と評価 

郡山女子大学短期大学部教授  長谷川 寿 郎 

 数年前、「学習指導と教材研究」という小論を要請によって寄稿したことがあった。(所報32)
このときは、評価の問題にはわずかにふれたにすぎなかった。学習指導の考察において、評価の問題への言及は不可欠であるぺきなのに,甚だ不十分であったと反省している。なお、学習や学習指導についての考え方の基本は、前回と異なるのではないが、角度をかえて考案してみようと思う。
 さて、やはり学習の考察からはじめようと思う。なぜなら、学習指導は、学習者の学習が確かに成就することを現実のものとする教育の方法機能なのであるから。そして、この考察のなかでも学習指導のあり方におのずと言及することになるであろう。学習指導の項と合わせて批判的に読み取られるよう願うものである。

1.学習について
(1) 学習というコトバの意味から
 山下栄一氏は、学習という語には二重の意味合いがあるとして、つぎのように説明する。a.行為の種別を示すもので、勉強する、けいこをするなどという行為を総称的にさすものとしてである。b.行為の種別・形態にかかわりなく、何らかの行為を経験した人間の内部に生じた変化をいう。日常語では、能力、知識など、何等かの価値ある新たな資質の獲得ともいうベきことであり、心理学ではこれを「行動変容」としてとらえている。今便宜上、aを「学習という営み」とよぴ、bを「実質的な学習の成立」とよんで区別してみるなら、(中略)、A「学習という営み」において、必ずしも「実質的な学習の成立」があるとはかぎらない。B「実質的な学習の成立」は、「学習という営み」以外の場面でも生じうる。というのであるが、わかりやすく、しかも学習指導上の大事な指摘でもあると思う。さらに氏は、教育的見地からすれば、α.何らかの価値高き資質の獲得が意図された行為としての「学習という営み」において、意図した通りの学習が可能となるには、どういう条件が必要なのか。β.学習が意図されない行為の状況においても、「実質的な学習の成立」は生じうる。このような人間生活の側面に対して、どのような教育的配慮を加えたらよいか。が問われることになるとする。
 これらについては、学習指導の考察の際に答えられなけれぱならないであろう。
 なお、注意しておかなけれぱならないことは、教育の立場から「実質的な学習の成立」とは、人間の形成にプラスの効果をもたらすものでなければならないことは言うまでもないことであるが、心理学の立場からすれば、負の効果を生じても、行動変容のあり様として学習の成立とするということである。
 心理学においては、学習の事実を記述するのであるから、われわれは、このことを重視していかなければならないが、しかし、学習が人間形成においてプラスの効果をもたらすよう、負の効果をもたらさぬよう配慮しなけれぱならないのである。なお言えば、負の効果に対するおそれをもって、つねに思慮深く対処しなければならないということである。

(2) 学習の成立する状況から
 ところで、学習ということを「実質的な学習の成立」として考えるなら、学習の成立する場面は実に多様であって、いうまでもなく学校教育以外の生活場面においても成立するのである。学校教育の場面は、重要ではあるが、一部分であるということになる。この多様な場面に成立する学習について、山下氏は、つぎのように一応の分類をしているが、学習指導上重要な視点となると思う。この分類が、とりわけ新しい提言というわけではないにしても、あらためて考えさせられるというものである。以下私見を交えて述ぺることを許容されたい。
1 第一の場合は、特定の事柄の学習が意図されていない場面で、結果として、何らかの新たな資質が獲得されているというものである。これを一応「非意図的学習」とよぷこととする。


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