福島県教育センター所報ふくしま No.51(S56/1981.6) -005/042page
の中に取り込み、経験を拡大再組織して新たな体系の全体性を得ることである。そうなし得たときは、「わかった」ということになる。
2「わかる」は「ホントにわかる」でなければならない。それは、わかったことを必要に応じて用いることができる、あるいは「わかった」そのように振る舞うことができるのでなければならない。
3学習指導は、「わかる」ことへの導きでなければならない。それは、学習者が辿る「わかる」過程の展開に沿うて行われるぺきで、指導者が一方的に「わからせる」ことであってはならない。その過程は、a.何をわからねばならないかをはっきりとらえる。b.このことのために何がわかっているかを吟味する。c.わかる手立てを検討する。d.わかっていること、新たにわかったことを操作して、わかろうとする対象の全体を構造的にとらえる(失敗を活かしたり、観点を変更したり苦心して)ことができ、納得できる。(一応「わかる」に達した。)e.わかったと思ったことをたしかめる。f.わかったことと自分の行動との結びつきを吟味する。g.さらに何をわからねばならないか、はっきりとらえる。ということであろう。
4安易に、見ればわかる、聞けぱわかる、によりかかるのであってはならない。苦労して自ら「わかる」を成しとげたとき、充実した学習が成立し、自己を高めることが真の意昧で可能となる。このことを支えるのでなければならない。
5「わかるということは、考え出すことである。」とピアジェは言った。自ら考えること、正しく判断することを支え励ますのでなければならない。そのためには、考えるゆとりを持たせねばならない。
6たとえ低い水準の「わかる」であっても、それを支え励まし合う友人、教師が存在すれば、水準は次第に高まり、自分も学習するに値すると実感するようになる。そういう学習状況を現出させるのでなければならない。
7「ホントにわかった」ことをたしかめる場を用意することが大事である。練習、適用等に十分配慮した指導の計画と実践が重要である。3.学習指導における評価について
1東 洋氏は、「教育評価とは、教育活動にかかわる意思決定の資料として、教育活動に参与する諸部分の状態、機能、所産などに関する情報を収集し、整理し、提供する過程である。」とし、自らその解説の中で、教育がうまくいっているかどうかを評価するための情報の集め方は、テスト以外にもたくさんある。特に、所産、つまり出てきた結果だけでなく状態や機能の日常的なチェックというのが、教育評価の大きな役割である。という。学習指導の評価ついても、もちろん、このような立場であるべきある。
2教育評価は、メッセージである性質をもつ(東氏の解説による。)教師から子どもへ、親へ、教師自身へ、子どもから子ども自身へ(筆者付言)である。その結果、学習者の学習意欲を高め、効カ感(波多野氏によれば、これは、自分が努力すれば、環境や自分自身に好ましい変化を生じさせうる、という見通しや自信をもち、しかも生き生きと環境に働きかけ、充実した生活を送っている状態をさす。)をたしかなものにする送り方であるように深く心を用いなければならない。
3授業における学習過程のステージ毎にまとめをし、たしかめるのは評価活動である。不十分だという情報なら、フィードバックをはかるべきで、学習の進行は当然スウィッチバックする。そういうゆとりがなけれぱ充実した学習は成立しないであろう
4ひとりひとりをいかす学習指導の評価でなけばならない。そのためには、ひとりひとりの実態(長所短所、得手不得手をつつんでその子の全体)を深く「わかる」ことが下敷きでなければならない。
5ひとりひとりは、自己評価、相互評価ができ、支え合って「わかり合う」学習を展開できるようにされなくてならない。
6個人内進歩の評価が、効力感を伸ばすに最も大事だとされる。しかし、相対評価が無意味なのではない。数量化し客観することも必要である。ただし、その意昧、限界をしかと押さえておかなくてならない。いずれにしても、掛け替えのないその子を高めるための評価であることを、当然のことながら銘記すべきである。参考文献
山下栄一、教育心理学、芸林書房、53.12.1。
東洋、子どもの能力と教育評価、東大出版会 1979.6.2。波多野・稲垣、無気力の心理学、中公新書、56.1.25。Wolman ed,-Handbook of General Psychology,Prantice-Hall,New,Jersey,Piaget,- Ou va l'e'ducation? UNESCO,Paris,1972。