福島県教育センター所報ふくしま No.51(S56/1981.6) -015/042page

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親に対する反抗の気持ちがあるということができる。
 それまでは良い子としてふるまってきたのが、思春期になり、自我意識が芽生えてくると、社会性のない未熟な自己に気づき、劣等感をいだくようになる。このやり切れない気持ちを安心して出せる依存対象に対して、攻撃をすることにより、発散し、劣等感を補うことをこころみようとしているのである。
 このことは、弱い主体性の乏しい自分自身へのいらだち・無カ感が、その原因となっている自分の自立を阻害した親(特に母親)への攻撃となってあらわれているといえよう。暴力の対象が母親(母親的機能を果たしている祖母等)にむかっていることが多いことでもうなずける。
 ただ、これが第2次反抗期にみられる真の自立への反抗ではなく、いわぱ幼児が甘えながらすねているようなものにすぎないところに間題がある。
 京都大学河合隼雄教授(心理学)は、このような現象を、著書「母性社会日本の病理」の中で、「両親に当たり散らしながら、両親に依存し、無意識に母なるものの甘えに支えられ、父性原理による自我の確立を前提としない低次元のエゴイズムにとどまっている」といっている。もっとも、そのことを子供自身は漠然と感じており、それ故に、暴カをふるっても、それが何らの発散にもならず、むしろ、自分に対するやり切れなさがつのるだけであり、暴力が急速にエスカレートしやすいのもこのためである。

 4.対  策
 家庭内暴力は、家庭内における人間関係の歪みによるところが大きい。従って、援助指導にあたっては、子供への働きかけと同時に、その家族に対しても働きかけが必要である。この場合、家族といっても、通常はやはり両親への働きかけが中心となるであろう。
(1) 父  親
 子供は父親に対して、父親らしく積極的に働きかけをしてくれないことに不満を持っている。だから、父親的役割の必要性を認識してもらい、子供に対して、主体的・積極的な関与の姿勢をとってもらわなければならない。一般に、家庭内暴力の子供をもつ父親は、問題意識は十分持っていながら、逃避していることが多いので、必要性の認識は割合得られやすい。むしろ、問題となるのは、意識はあっても具体的にどう対処するかのやり方がわからなかったり、少しやってみても簡単にあきらめて放棄してしまうことなのである。
 元来、このような父親は性格的にも弱く、対人関係の技術も巧みでないので、励ましと助言を続け、そして、自分をさらけ出して、子供に正面からぷつかることを勧めたいものである。
(2) 母  親
 子供は母親に対して、心配性で口うるさく、過干渉であることや、幼児的扱いをして自主性を認めてくれないことへの不満を感じている。だから、自分の子供に接する態度の反省と、父親的役割の重要性を認識し、父親に協力することを前提に、子供に対する心配性からの過干渉の態度を改め、気になっても口を出したり、世話をやいたりしないで、子供を信頼し見守るように援助してやる。家庭内暴力の子供をもつ母親は、実感として問題点を理解しようとしないで、世間体ばかりを気にして、防衛的態度をとりやすいので、きぴしい態度で接することも必要となってくる。しかし、理解をすると動揺し、不安が高まり、不安定に陥ってしまうから、この不安、情緒的混乱を受容し、支持してやることも大切である。
 終局的には、子供を自立させるためには、母親自身が、自分の世界をもつとともに、夫との関係を見直すことも必要であることに気づかせていくことが必要なのである。
(3) 子  供
 子供に対しては、信頼関係をつくりあげるための受容的態度を保つことは当然である。そして、その過程で、子供が述ぺていることについて、疑問の点は問い正し、おかしいと感じた点は指摘して、教師の判断や考え方をはっきりと伝える態度が必要である。
 家庭内暴力の子供は、依存対象だけにせよ、攻撃の感情を出せることに示されているように、他の非社会的傾向の非行や神経症のものと比較して、屈折が比較的少なく、防衛機制が比較的ゆるいといわれている。どちらかというと、わがまま的な要因が強いので、指導にあたっては、時には指示的態度や、日常の基本的生活習慣の確立策などが要請されるということができよう。

○ 参考文献
   学校内暴力・家庭内暴力 有斐閣新書


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