福島県教育センター所報ふくしま No.53(S56/1981.10) -032/034page

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随 想

訪 中 日 誌 か ら

教科教育部  吉田 伊勢吉


  8月5日(水)晴
 今日は,上海から西安までの列車の旅。前日の午後8時,むし暑い上海をたった。寝台車はひたすら暗やみの中を進む。徐州近くで目が覚め,地平線から昇る日の出を見る。右も左も広漠たる田野が続き,汽車は太陽を背にして,西へ西へと進む。ところどころにレンガ造りの小集落が点在する。黄河に近づいた頃,高い堤防を遠くに認めるだけで,行けども行けども大地の連続。しばらくすると水田は姿を消し,とうもろこし,綿花,こうりゃんの畑が続き,その果ては天に接している。ここはまさに中原の名にふさわしく,その広大さは日本の物差しでは測りきれぬものを感ずる。
 正午,鄭州(ていしゅう)を過ぎる。車内気温30度,昼食をすませて間もなく,遠くに低い山が見えてくる。山あいに近づいたと思うと,あっという間に黄土台地が展開してきた。それは果てしなく続く黄色い土と切り立つ崖の連なりである。崖の中腹には穴居が並び,耕地は山頂にとどく。変化に富む日本の土地とは全く異なる世界だ。ようやく暮れなずむ夕やみのかなたに黄土高原の町の燈が明滅している。列車はすっかり夕やみにつつまれ,暗やみの中を走る。22時19分ようやく西安駅にすべり込んだ。上海から1500km、所要時間は26時間。駅頭には陝西(せんせい)省総工会の代表があたたかく出迎えてくれる。宿舎の陝西賓館に着いたのは23時をまわっていた。

  8月7日(金)晴
 6時半起宋。今日は沃野(よくや)千里,天府の国,西安近郊をかけめぐる予定。8時10分日本製のマイクロバスで出発。気温28度,気圧951ミリバール。案内役の西安師範大学の斉先生(自然地理)と張先生(経済地理)が同乗されて心強い。マイクロバスはクラクションを鳴らし,歩行者と自転車をかきわけるようにして街の中を進む。昨日訪れた大雁塔が街路樹のかなたに見える。
 やがてバスは始皇帝陵に近づく。あたり一面に広がるざくろ畑がめずらしい。この壮大な墳丘は,驪(り)山の山並みを背景にして,波瀾万丈の歴史を秘めながら,畑の中に長く裾をひいている。10時半に兵馬俑博物館に着く。巨大なドームの覆屋の中には,等身大の武人俑が直立したまま,あるいは重なり合った状態で,地下5mのせん敷きの床に並んでいる。表現は写実的で,武人の容貌は皆ちがう。この六千に余る兵馬俑は,千古の昔を物語り,見るものを圧倒する。戦慄にも似た感動が体中を走りぬける。
 華清池で昼食をとり,西安事件の舞台を訪ね,その近くの穴居を実測する。気温32度,穴居内28度。

  8月9日(日)晴
 烏魯木斉(うるむち)で朝を迎える。朝食前のバザール見物の話題がはずむ。ついに東経87度まできた。海抜高度913m,朝の気温は22度,涼しくしのぎ易い。いよいよ今日は天山山脈を越える日だ。
 朝9時に出発。生物土壌研究所の夏先生,女医の康さんが同乗してくれる。ポプラ並木が道の両側に続く。烏魯木斉の郊外を抜けると,突然広大な平原に出て,視界から緑が消えた。礫ばかりの砂漠,ゴビタンである。全く緑のない世界だ。ゴビタンの中を蘭新鉄道が道路に平行して走る。遊牧民のパオが遠くに見える。谷間には背の低い樫柳(ウンリュウヤナギ)が風にゆらいでいる。
 長い下り板を走り続け,”火州”吐魯番(とるはん)盆地に入る。ここは海面下154m,東洋の“井戸”と呼ばれた所だ。10日ほど前の大雨で道路がいたみ,バスのスピードは時折おそくなる。ポプラの防風林に守られているオアシスの町,吐魯番に着いたのは13時を過ぎていた。直ちに,ブドウ棚のある中庭に案内され,山盛りのスイカ,ハミウリ,白ブドウなどの果物をご馳走になる。気温36度,地温52度の炎熱下にあっては,このブドウやスイカの果汁の一滴はまさしく天上の甘露であった。

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