福島県教育センター所報ふくしま No.54(S56/1981.12) -032/034page

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○気力や体力の育成・心身のたん練をめぎす体育的活動

○生徒の自主性・自発性および協力し合い創造性を養うその他の活動

7、研究の成果と反省
 文部省中学校教育課程の研究指定校の研究は、実質的には、1年程度でありその前後においては、研究態勢の確立やまとめなどに費やされた感じがする。
 本年度は、その成果をもとに自主研究を進めることとし、主題を「生徒の活動を重視した授業の工夫」とし、地域の自然や環境・身のまわりの現象などをどのように教材化し授業にとり入れることが可能か、また、生徒たちはなにを望んでいるのかなどをもとに学習指導のねらいにてらし指導計画の自校化をおし進めることにしている。2年次(昭和57年度)は、「生徒の活動を重視した授業の展開」とし、授業の充実を確実なものにし、3年次は、授業をさらに進めながら「評価」についてとり組むことにしている。
 このように、本年度より自主的研究が職員の共通理解のもとに全教科にわたって推進されていることは、指定研究校としての大きな成果である。つけ加えるならば、授業の質的改善が漸次はかられつつあり、それと同時に授業に対する生徒の態度が活動的になってきていることである。
 また、教育的活動(「学年活動」)の実施により、生徒は学校生活に明るさを増し、自分たちで進んでやろうとする意欲的・自主的態度が最近多く見られるようにをってきた。
 この他にも、いくつかの成果はあげられるが、研究に対しての反省や考えさせられる点がいくつかある。その一つとして、
 2年間の研究は、研究計画に系統性や具体性が欠けていた面があり、研究推進の妨げとなった。今後は、計画−実施−反省・評価のサイクルを確立し、より確かを研究を進めをければならない。
 第二に、学校教育の場面場面においては、未解決であり改善を要するものが数多くあげられる。「ゆとりと充実した学校生活の実現」から見ると、われわれの研究内容はおそまつなものであり、ようやく出発点にたどりついた感がある。
 また、戦後の教育は、上からは与えたがり下からは求めたがった傾向にいつしか慣れ、抽象的でやりようのないものはほうり出し、具体的を指示や指導を求め続けてきたように思われる。このような現場の実態では生き生きとした研究や実践は期待できない。今日ほど学校・教師の創意工夫によって地域にねざした学校教育が期待されている時代はない。このことはある意味で今回の改訂の方針として最も重視すべきことであり「教師の時代」と言われるゆえんでもある。
 要は、教師の姿勢のいかんであり、教師の指導意欲や情熱が問われているのである。この中から本当の創意工夫がなされ「ゆとりあるしかも充実した学校生活の実現」が可能になることを確信する。

編 集 後 記
  • 「師走」という言葉には、せわしく走り回るような歳末の感じがある。「奥義抄」には「12月、僧を迎えて経を読ませ東西に馳せ走るが故に師走というをあやまれり」とある。必ずしも定説ではない。
  • 冬至の神は犬がきらいで、戊の日が来ると帰る。この犬は大食をので、冬至から戊の日までの間が長いと世間の穀物が食いつくされて飢饉になるためだという。
  • 12月、学期末テスト・成績処理・反省会冬季休業中の指導と年賀ハガキ書き・・・12月は、まさに先生の走り回る月でもある。    (Y)

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