福島県教育センター所報ふくしま No.56(S57/1982.6) -005/042page
1 よい教師の条件の根ざすところ
Iにのべた諸条件は,一つの考え方にすぎない。この項においても,諸条件を産み出す地平の状況についての一考察というわけである。
1. 教育そのものについての深い洞察
教育とは本来何かについては多くの論説が展開されているが,人間がよりよく生きていくために知・徳・体を調和的に発達させるいとなみであるとすることからはずれることはないであろう。ただこのさせるが大事なポイントである。子どもは本来発達する力をもってい,発達しようとしている。それをささえはげまし,正しく発達するのを援助するのである。子どもが自らを発達させるのを正しく援助するのが教育といういとなみである。さて,教育の洞察は,世界と国内との状況に対処して生きぬくべき日本国民の育成にかかわる問題を当然に内包する。今次教育課程改善の趣旨をあらためてこの視座から問いなおすべきであろう。
2.教師の徳性 (注5)
このことも,さまざまに論じられていて,いずれもわれわれの心の糧とすることができる。ここではボルノーの説くところを,その項目だけをのべる。
(1)素朴な人間愛。(2)教育上の期待におけるゆとり。(3)忍耐(じつは忍待)一子どもと彼の発達に対して信頼をもち,教育を急ぎすぎないこと。(4)希望ーあくまで未来に対する信頼を失わないこと。そしてボルノーは,円熟した教育者の基本的態度として,晴明,ユーモア,善意をあげている。その深いものを原本または訳本によって考究されることをのぞむ。
3.教師として意味への意志に生きる生き方 (注6)
意味への意志に生きるとは,人間はだれでも,どんな境地に在っても,生きる意味をみたすことができるという自覚に立って,自己の具体的な生きる意味を見出し,それをみたそうとする意志をもって生きぬいていくことである。意味とは,その人が具体的に実現しようとするその人の使命なり当為であり,意味をみたすことは価値を実現することである。したがって,教師として意味への意志に生きるとは,教師としての真の使命,役割を果すことによって,価値を実現していくことである。この価値の実現は,(1)教育における創造活動によって創造価値(創造という価値)を実現することであり,(2)子どもに対する教育愛の発露の体験,周囲の人々を愛する体験,教育活動にかかわって,人,物,自然,文化財等のもろもろのよさ,美しさの体験等において体験価値(体験そのものが価値である)を実現することであり,(3)教育の実践におけるさまざまな苦悩に正しく,不屈に耐えて,教育効果を実にするという態度をつらぬくことによって態度価値(態度が価値である)を実現することである。同時に教師はこのような価値実現の能力を子どもにつちかわなければならない。
なお,このような生き方を教師の内面においてみちびき,さらにその生き方を高めることを命じるのは,その良心のはたらきである。意味への意志に生きる存在は,良心の審判にこたえるのでなければならない。かくして,教師は,子どもの良心のはたらきを十分ならしめる使命をはたさなければならない。
以上は,全くの粗述ではあるが,このような地盤から,教師は自らの教育実践の具体的なあり方をきずくことができるのでなければならないであろう。Iの考察は,その一例といいうるのではなかろうか。
おわりに
よい教師の条件をみたすためには,その根ざすところをやしなわなければならない。それには,研修につとめるとともに,自己の生き方の内面を深めなければならない。そのことによって,徳性をみがき,教師としての意味への意志に生きる生き方をよりたしかにしていくぺきであろう。研修内容その他言及すべきものがあるわけであるが,カットせざるを得なかった。
引用文献
注1. 三好京三,いい先生見つけた。潮出版,P217。
〃2. 同上,P73。
〃3. 波多野誼余夫・他,無気力の心理学,中公新書(全体を参照した)。
〃4. 長島貞夫編,職業としての教師,金子書房,P43。
〃5. 0・F・ボルノー著,森・岡田訳,教育を支えるもの,黎明書房,PP.125-1710.F.BOllnow,一Die padagogogische At-mosphare,Quelle4Meyer,Hbiberberg.
〃6. フランクル著作集,みすず書房(主として第二巻を参照した)(57・5・16)