福島県教育センター所報ふくしま No.56(S57/1982.6) -018/042page

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受講者の感想


出会い

福島市立野田小学校教諭  福島市立野田小学校教諭

福島市立野田小学校教諭福島市立野田小学校教諭

 「あら,Aさんですね。」

 「まあ,何年ぷりでお会いしたかしら。」

 卒業以来はじめて会ったAさんは,何年ぷりのことだろう。お互に教職にありながら県内にいても今まで会う機会がなかった。しかし,学生時代同じ部屋で生活を共にしただけに鮮明な記憶は,すぐ胸襟を開く結果となって緊張感をぼぐしてくれた。

 こんな楽しい会話からはじまった研修は,夏休みに入ると間もなく開かれた小学校道徳講座であった。

 3泊4日の日程だったので,まあ,なんと長い研修だろうと気が重くまた,緊張して教育センターの玄関に立った私でしたが,Aさんと会ってからはほっとして開講式にのぞむことができた。

 日ごろ,道徳の授業が押しつけの指導になっていないだろうかと考えていたので研修の場を与えられたことに感謝し,研修内容を自分のものにしようとひとつひとつの講座に聞き入った。特に,センターの御配慮によって,井上治朗先生と飯田稔先生の講義を聞ける機会に恵まれたことは,直接子どもと接している私達にとって,またとない心に残る講義となった。

 学級担任をしていると,「Y君には手がやけて困る。」と,ぐちをこぼすことがある。

 井上先生は,むしろそのような子どもたちがいるからこそ道徳指導の条件が備わっているのだと語られた。つまり,障害を持つ子どもがいればいるほど他の子どもが道徳性を発揮できる学級であると思う。

 確かに子どもひとりひとりが問題に直面して悩みまた考えを確かめるなど自分を見つめる機会が多く与えられたことになると思う。問題を持つ子どもがいるほど道徳性を養う心境になり,子どもが互いに人間らしさを学ぼうとする学級になり本物の道徳指導ができるのだと深く感銘した。

 そして,「先生の笑う顔は好きだけど,おこる顔は大きらいです。」と,日記に書いたY君の澄んだあのひとみが一瞬脳裏に浮んだ。二学期からは,あの問題を持つ子どもたちを今まで以上に温い心でそっと包んでやりたいと思う。私にもできそうだ。やらなければと強く感じた。Y君の悩みを本気にきいてくれただろうかと見つめなおした。

 この研修に参加して根本的な学級づくりの考えなおしを感じさせられた。もっとお聞きしたい。時間の過ぎて行くのが残念でならなかった。

 宿舎での夕べのひと時は,家事から解放されたくつろぎの時間であった。同室の先生方との情報交換は,何といっても楽しく語っているうちに連鎖的に話がつながって県内がとても狭く感じられた。研修内容から話題が広がったり,学校行事のことや道徳の授業でのとまどいなど時間を忘れるほどだった。

 講座内容は講座や研究協議・演習など変化に富んだ研修ができた。学校で当面している問題に焦点をあててより具体的な事例による内容であったため,解決の方向を見いだせたことは,研修のすばらしい成果であったと思う。

 とかくロボット産業時代といわれる現状では,温かいぬくもりの感じる心と心のつながりを忘れがちになる。思いやりのある心,それが無意識に行為となって現れるような人間性こそ強調されなければならないと思う。

 久し振りで会ったAさんとも,思えば学生時代に未熟なままでの共同生活だったが,気まずい思いをした経験がないのは,常にゆずり合う気持ちが先行した人間関係であり,相手のよさを見つけ出すことによって自己の生き方を考えていたからと思う。向上心を持ち謙虚な気持ちで接してくれたAさんとは,時の流れを越えて語り合うことができた。

 校門を入ると,いつも元気に挨拶するこの子どもたちに,豊かな道徳性を育てたいと努力している毎日である。


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