福島県教育センター所報ふくしま No.57(S57/1982.8) -009/038page

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てなかなかうまくできませんでした。そのうち,だんだんちょうしよくとべるようになり,おもしろくなってきました。
 そこへ,おなじくみの,めぐみちゃんが「まぜてちょうだい」といってはしってきました。わたしはいれてやりたいとおもいました。でも,みんながだまっているので,わたしもだまっていました。

○ 資料より考えさせたいこと
 ・ 遊んでやりたいのに,なぜ,「いっしょに遊びましょう。」ということができなかったのだろうか。
 ・ 遊んでもらえなかっためぐみちゃんの気持ちはどうだったろうか。
 ・ 自分も遊びの仲間に入れてもらえなかったとしたら,どんな気持ちだろうか。

<事例 2> 新聞記事を生かして
※吟味条件
(1) 学  年  第6学年
(2) 指導内容  (8) 正しい目標実現のためには,困難に耐えて,最後までやり通す。
   高学年〜   障害や失敗にくじけないで,ねばり強くやり遂げること。
(3) 本時のねらい  正しい目標の実現のためには,障害や困難をのりこえて,最後まやりぬこうとする気持ちを育てる。

○ 新聞記事の概要
1980年12月25日のA新聞に次のような記事が掲載されていた。
 「両手がなくとも負けないわ」という見出しで,両手がなくとも小・中・高校を普通の子どもなみにがんばったサリドマイド禍の辻典子さん(18歳)が熊本市の職員採用試験に,みごとに合格したという書き出しである。
 このことは,1981年2月12日の新聞でも,その後の様子を取り上げていたが,なにしろ26.5倍という難関を突破したのである。
 典子さんは,人一倍のがんばりやで,学校ではスラックス姿で椅子より少し高い机に向かいノートをとる。きりっとした文字,水泳は100mを泳いだこともある。中学校の家庭科で電動ミシンを使ったのがきっかけで洋裁が好きになり,高校ではレース編も,ろうけつ染めもこなす。珠算は3級試験に1回でパスしたという。
 おかあさんの話によると,き帳面で根気強い子だそうだ。クヨクヨしない明るい性格,両腕がないことについてもあまり気にしないそうである。

○ 資料より考えさせたいこと
 ・ 両手がなくとも職員採用試験に合格できたのはなぜだろうか。
 ・ 典子さんはどんな気持ちでがんばったのだろうか。
 ・ みんなが典子さんのような立場ならどうだったろうか。

4 事例への考察

 この二つの事例をもとに考察を加えてみる。

○ 日記による事例
 反省記録から
 道徳の時間における資料の活用や扱いが,児童の実態を見きわめ,児童自らが求めていくものになっていなかったことを痛感する。それは,道徳の時間で使う資料が副読本にかたより,道徳の時間の楽しくない原因をつくってきたのではないか。もっともっと児童の身近なところに目をむけてみよう。
 この事例は,児童の身近なできごとであり,どの児童にとっても関心のあることである。主題のねらいに即して,発達段階にふさわしい適当な選択である。 なお,選択と活用に当っては,次の点について配慮することが大切である。
 ・ 資料の備えるべき条件について(文部省編)
 ・ 資料の類型化と資料活用の類型(福島県教育庁編)
 ・ 資料活用上の配慮事項(文部省編)

○ 新聞記事による事例
 反省記録から
 数年前より,資料としてふさわしい内容を切り抜くことにしている。道徳の時間に利用できる身近に起った感動場面は意外に多いものである。その中から指導項目を選んでみるのも教材研究の一つと考えている。
 このねらいを達成するのに適切な資料である。単なる道徳的理解にとどまることなく,一人一人の児童の心情にうったえ,深い感動を与えるものと思う。
 なお,選択と活用に当たっては,日記の場合と同じような観点から検討してみることが大切である。

5 まとめ

 身近な問題,時事的な問題を,学級の児童の日記や新聞記事から取り上げてみたが,このほかにも,学級会の話し合いや教師の見聞からも身近な資料はいろいろ考えられる。これらの話題を読み物資料や説話資料として資料化するばかりでなく,一枚の絵にしたり,絵話にまとめて使用するなど,工夫してみてはどうだろうか。


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