福島県教育センター所報ふくしま No.58(S57/1982.10) -008/038page

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生徒指導

「心のふれあい」を育てる生徒指導

経営研究部  斎藤 洸旦

〔問い 1〕 「望ましい心のふれあい」とはどういうものでしょうか

〔答え〕  心のふれあいは,人間関係とか共感的関係とかいわれているように,赤裸々な人間と人間との関係から生まれます。したがって,教え教えられるという,教師と生徒の上下関係からは生まれにくい性質をもっています。つまり,教師という立場に立って上から,生徒に対して指示,命令,禁止,しっ責をする一方通行からは,心のふれあいを求めることは,きわめてむずかしいといえるでしょう。教師が生徒と一緒に運動会で走ってころんだり,海浜の合宿で一緒に炊事をしたりすることで,心のふれあいを経験するようですが,これは,教師が生徒との役割関係から脱して,なまの人間を現すからでしょう。

 このように,心のふれあいが成立するためには,教師が自己の人間性を赤裸々に現すことが前提になります。それは,方法や技術のみの問題ではなく,むしろ方法や技術を越えたところに,その特徴があるといえるのです。ですから,生徒を怒ってもどなっても成立するし,反対に生徒のご機嫌をとっても心が離れていく場合があることも,この辺の事情をものがたっているといえるでしょう。

 ところで,「望ましい心のふれあい」について,坂本昇一氏は「教師が自分の人間的弱さ,怠けごころを自覚して,それをなんとか克服しようとする姿勢が根本にあって,その克服のための努力の過程で時折り出てくる弱さが,生徒に人間的ふれあいを経験させる。つまり,教師自身の自己変容の努力が生徒とともにという意識が生じ,そのとき生徒と教師の役割関係が,生徒と教師の人間関係にかわる」とのべています。また更に,「教師が自己変容の努力をなさず,人間的弱さを生徒に示すのは,なれ合いであり,附和雷同である」と決めつけています。

〔問い 2〕 「心のふれあい」は教育上なぜ必要なのでしょうか

〔答え〕  心のふれあいのある,なしが,生徒の心を育てる不可決の条件だといわれています。このことを見失って,教育の場が知識のつめこみに偏っているところに問題があるといえるでしょう。その心の育成の内容は,自主性の形成,意欲・意志の形成,社会性や道徳性の成熟,自尊心の成長などさまざまありますが,特に自己を「自立した人間」として,「存在価値のある人間」と感じる「自己価値感」の育成が,教育的に中心になるといわれています。エリク・エリクソンのアイデンティティの確立がそれであります。

 この自立心とか自己価値感は,一見矛盾するようですが,教師の人格的支えによって育てられるものです。くだいていえば,生徒は教師に受けとられたイメージに従って自己を形成するのです。ですからある生徒を教師がすばらしいと受けとれば,その生徒は教師との心のふれあいの中から,自己を価値あるものと信じ自信をもつのです。この心理的成長をうながす重要な基盤が,すなわち心のふれあいだといえるでしょう。

 このように,教師と生徒との相互の心のふれあいが健全であるならば,生徒は自主的に自己価値感をもって学校生活を楽しみますが,反対に心のふれあいが阻害されると,かえって意識的に教師にすがりつこうとするものであるし,かなわぬ場合は孤立し自閉された心をつくりあげるか,さもなければ反抗の心をつのらせます。

 今学校で,非行生徒の大部分は,教師と心のふれあいのない生徒だとみられています。この非行生徒を救うという視点から,教師と生徒との心のふれあいを育てるのが緊急の課題であります。そしてそれは,単なる非行対策という消極的なものに終わるものではなく,すべての生徒に心のふれあいをふまえ


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