福島県教育センター所報ふくしま No.61(S58/1983.06) -024/044page

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 随 想   ≫

フレーベル生誕二百年に想う

経営研究部   藤 本 忠 平

 かつて勤務した高校で,ボクシング部顧問をしたことがあった。それまでこの格闘枝に全く門外漢であった私には,その指導がかなりの負担であった。部員のNは,そうした私を助けて後輩の面倒を見たり,何かと部のため良くつくした。しかし実際の試合では,リングに上るごとに負けていた。ある練習試合でまたしても敗れたNは,帰り列車でのミーティングの時に,思い詰めた表情で退部の意向をもらした。しかし,まだ伸びる素質を惜しんで「眠っている素質を呼び覚すには,並の練習でなく,納得行くまで徹底的に練習すること,日常生活では矯正した右ききであっても,ボクシングでは本来の左ききを生かし,サウスポーに切り換えること」などを奨め,慰留,激励した。それをそっくり受け入れたNの練習は一変し,正に気魄がこもっていた。そして半年後,素晴らしいサウスポー選手に生れ変ったNは,県大会に優勝し,東北大会,全国大会での活躍が認められ,スカウトされて大学へ進んだ。

 格技や武道では「心技一体」とよく言われる。剣の名人 宮本武蔵は彼の著書「五輪書」で,技を磨くことにより心も磨かれ,心を磨くことにより技もまた磨かれると述べている。この境地に少しでも近づける者の基本的共通点は何だろうか,私はそれは素直な心であると思う。Nもその一人であった。心が素直であるということは,精神的健康を意味する。問題行動や非行に走る青少年の多くは,かなり長期にわたり精神的健康が阻害され,ついに行動として表出したと思われる。その原因をたどると,誕生以来の家庭環境や生育歴など,また発達課題についてはどうであったか,さらにさか上って,胎児期における母子の状態はどうであったかという事にまで及ぶ。

 ギリシャ神話に登場する英雄ロムルス・レムス兄弟,物語や映画でおなじみの狼少年等,いずれも人間の赤児が狼に育てられる特異さで有名である。これに類する実例として発見,保護された「狼っ子」は,人間社会に引き戻すために教育される過程が詳しく観察,記録された。それは1920年10月,インドで狼に育てられていた二人の少女,アマラとカマラがシング牧師によって孤児院に収容された例である。J.A.L.シング著 野性児の記録1「狼に育てられた子」(福村出版),A.ゲゼル著 「狼にそだてられた子」(家政教育社)等に詳述されている。注目すべきは,カマラとアマラ以外にカスパー・ハウゼル,ダイナ・サニーチャル,アベロンのビクトールなど,けだものに育てられたり,隔離されて育てられた場合の知能発達,行動 思考力などが比較され,乳幼児期に人間としての正しい教育を受けなければ,人間にはなれないこと,つまり乳幼児期は,教育上他に替えたり,やり直したりできない重要な時期であることを立証している点である。これは正に科学的実験方法の一つとして用いられる空実験(ブランクテスト)を見る思いがするのである。それ故に「狼っ子」は,一般的成長過程を経る子どもとの対比において,教育の適時性を裏付ける有力な根拠であり,教育学上の研究においては,極めて重要な意味を持つものである。

 近年,青少年の問題行動や非行の増大に対し,対症療法的な応急対策に走り易いが,その原因や背景の根深さを考えるとき,つい見落されがちな乳幼児期の教育こそ,教育の原点として見直されるべきである。乳幼児期の望ましい成長発達は,人間形成の上から最も重要視されなければならないと思われる。

 ちなみに今年は,世界で初めて幼稚園を創り,乳幼児の教育を世界に強く提唱し,実践したドイツの教育家フリードリッヒ・フレーベル生誕二百年という記念すべき年である。全世界に幼椎園を普及させた彼の教育理論は,今日に至るまで幼児教育にとどまらず,初等・中等教育にかなりの影響を与えている。私は四月より教育センターに勤務することになった。初めて幼稚園教育講座を担当して,改めて幼児教育の重要さについて理解を深め,教育の原点また人間教育の根本について,認識を新たにしている昨今である。


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