福島県教育センター所報ふくしま No.63(S58/1983.10) -009/042page

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解を一層深めなければならないし,道徳の時間以外の教育活動を通して行う道徳教育と道徳の時間との関連やそれぞれのねらいなどを明確にしておくことも重要である。

 今回は,できるだけ,道徳の授業に焦点をあてながら,改善のための方策の一端を述べてみたい。 (1)道徳の捜業への積極的な取り組みを
 「道徳の授業は難しい」「道徳の授業をどうす すめてよいかわからない」など,道徳の授業につ いての苦言が多く聞かれる。

 週1時間しかないこと,教科指導のように変容がすぐには見られないもどかしさなど,難しいことは否めないが.本気で取り組み,内面的な価値を自覚させる努力を続ける必要がある。
 そうすれば,課題が明らかとなり,解決の糸口 がおのずと見い出せるはずである。

 C表やB表4でわかるように,道徳教育の研究指定校など,一部の学校や教師を除いては,授業研究としての取り組みもあまりなされていないようである。しかし,「人間性ゆたかな児童生徒の育成」に密接なかかわりをもつ道徳教育の重要性を考え,現職教育の一環として行わわる校内共同研修に取りあげたり,同学年部会で道徳の授業の進めかたについて話し合う機会を多くするなど,積極的な姿勢が望まれる。

(2) 道徳の授業のねらいの洗い出しを
 現在,まだ,道徳的実践力と道徳的実践の混同が一部に見られるなど.道徳教育とくに,道徳の時間についての理解が必ずしも十分とはいえないと考える。

 道徳教育は,いうまでもなく学校の全教育活動を通して行うわけであるが.道徳の時間には何をするのかを明確にし,また,道徳の時間以外の教育活動で行う道徳的実践の指導とのかかわりを的確におさえておくことが大切である。

 すなわち,道徳の授業で培うのは,望ましい道徳的行為を志向させる内面的な資質としての道徳的実践力である。道徳的実践力は,道徳の時間以外の教育活動において,繰り返し繰り返し,さまざまな道徳的行為を行っていく間にも育っていく。

 しかし,道徳的心情や判断力などの道徳的実践力に直接はたらきかけ,心の奥深いところで1時間なりの効果を高めようとするのが道徳の授業のねらいだということである。

 ともすると,すぐに実践へ結びつけようとするあまり,教師は一方的な穂導をしがちだが,児童生徒の内面的な深まりを図ることに力を注ぐべきであり,徳日の単なるおしつけは厳にさけなければならないことを再確認しておく必要がある。

 ちなみに,道徳的実践力と道徳的実践との関係を図示すると次のようになると考える。
道徳的実践力と道徳的実践との関係図

(3) 資料の用い方に創意工夫を
 道徳の授業をするにあたって,切り離すことのできない婁要な位置を占めるのが資料である。

 A表5,B表6 7のように,小中学校とも資料としては,読み物資料が圧倒的に多く,ほとんどが副読本のようである。しかし,それらの資料は,十分に吟味され 活用されているとは言い難い。

 忙しさに追われ ややもすると教師用指導書の解説通り一方的に指示したり,単に読ませるといった安易な形がとられやすいようである。

 資料を読み深めていく方法にしても,児童生徒の全員に読ませた方がいいのか,だれか一人に読ませ,他の者は黙読をさせた方がいいのか,教師が読み聞かせた方がいいのかなど,児童生徒の能力の実態に応じて方法を変えるだけでも,児童生徒の受けとめかたに大きな違いが生じやすい。

 また,同じような資料の取り扱いの型から脱け出すため,あらかじめバックミュージックなどの効果音とともに録音しておいて聞かせたり,イメージをふくらませるため,さし絵をわざと省いて印刷し,前日に渡して読ませておくなど,その資料をよりよく生かす手だてを講じなければ,児童生徒の心をゆり動かすことはできないと考える。

 つねに,よりよい資料を見つけ出すよう心がけることや,使用にあたっては,教師が事前に少くとも二度は読ろ,その資料に精通し,資料から人間を読みとるといった,ごく基本的なことを大事にしながら,資料の活用のしかたを工夫していくことが望まれる。


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