福島県教育センター所報ふくしま No.63(S58/1983.10) -010/042page
(4)柔軟な指導過程を
ねらい,資料,児童生徒の発達段階などによって,いろいろな指導過程が考えられ実施されなければならないはずなのに,ある一つの型に固執しがちではないだろうか。たとえば,もっとも多く用いられていると思われる(生活)→(資料)→(生活)の型の場合,この型がすべてに適しているわけでは決してないのに,ねらいや内容などには全く無関係に進められることが多いようである。しかし,この指導過程は,問題意識を強めたり,中心の資料との結びつけなどから考えると,理想的な型には相違ないが,導入時の生活と中心となる資料との間に断層が生じやすい一面もあることを十分に承知しておかなければならない。
その時間のねらいによっては,むしろ,資料そのものから直接導入する(資料)→(生活)の型の方が,ねらいとする価値の理解や深化に適している場合もあるわけで,指導方法の多様化(スライド映写,ペープサート,V・T・R役割演技,小集団での話し合い,etc.)とあいまって,指導過程を柔軟に考え,一つの型から入り,型から抜け出すことを提唱したい。
(5)人間関係の一層の深まりを
道徳の授業では,教科の授業以上に,児童生徒の一人一人が,自分の考えや思ったことを素直に出し合い,話し合うことが,内面的な深まりを図る上でどうしても必要となる。したがって,このためには,温かい雰囲気に満たされている学級づくりがなされ,教師一児童生徒,児童生徒一児童生徒の好ましい人間関係が醸成されていることが欠くことのできない条件となる。
すなわち,教師が,一人一人の児童生徒を正しく理解し,児童生徒同志も互いに認め合い,励まし合い,それぞれがかけがえのない人間として尊重され,生かされる学級にすることである。
また,このことは,道徳の時間だけでなく,各教科や特別活動の場などにおいても十分に留意しなければならないことである。
たとえば,友だちの発言を誠意をもって真剣に聞くとか,他人の失敗キあざけり笑うことは絶対にしないとか,特定の児童生徒だけに発言が偏らないようにするなど,つねに賞賛と激励の姿勢を忘れないことである。
心と心がかよい合い,信頼感をもち合うことができる人間関係にまで深めるため,ともすると固定観念にとらわれやすい児童生徒の見方などについても,教師自らが謙虚に反省し,努力を惜しまないようにしなければならないと考える。
4.おわりに
以上述べたように,あらゆる教育活動の基盤となっている道徳教育,とりわけ,道徳の授業についての意識を教師唱らが,まず,正さなければならないのではなかろうか。道徳の授業をすすめるにあたっては,このはかにも,「発問」「板書」「評価」など,多くの授業成立の条件があるが.あまりにも指導技術だけに傾斜しすぎたり,一つの型に固定したりすることなく,幅をもって対処していくことが大事である。
そのため,教師自身が,人間としての高まりを忘れてはならないということである。
すなわち,人間性についての洞察や道徳的価値にっいての理解が深ければ深いほど,児童生徒の心に密着した独自の指導を展開できるはずだからである。
しかしながら.道徳的に立派な人間でなければ,道徳教育や道徳の授業はできない,ということでは決してない。むしろ,努力に努力を重ねても不完全なのが人間であるということを感じとらせるため,時には,赤裸々な一面もさらけ出す勇気を持ち,教師は.児童生徒の人間形成の同伴者であるという意報を忘れてはならないと考える。
児童生徒とともに,人間のよりよい生き方を学び,かつ,求め続ける姿勢こそが,児童生徒の心の奥底に感動を与える大きな原動力となることを心にとどめ,道徳の授業の質的改善に立ち向かっていきたいものである。
〔参考文献〕
・道徳教育(現代学校教育全集6) ぎょうせい
・道徳教育の手引 福島県教育庁義務教育課
・実践力を育てる道徳の授業 竹ノ内一郎者 新光閣
・道徳指導入門 荒木,江橋共著 明治図書