福島県教育センター所報ふくしま No.65(S59/1984.2) -011/042page
教育相談
教育に関する人間学的考察
教 育 者 の 人 間 学
教育相談部 海 野 和 夫
はじめに
来所,相談を受けた子供の不適応行動の中には,学校や教師にもその責任の一端を求めざるを得ない事例がかなりあるようである。
教育者は,あらためて,教育とは何か,学校とはいかなる場所か,という問いを根本的に問い直してみてもよいのではないかと思う。
このことについて,人間学の立場から論究する。1.人間学と教育
(1)人間学とその意義
人間学とは,個々の人間科学,すなわち哲学,心理学,教育学,そして医学などの人間科学及びこれらの総体を示す語である。換言すれば,個々の人間科学及びその総体における人間研究の成果の中で示される人間像とそれの人間理解を人間学と呼ぶのである。
したがって,人間学は,それぞれの人間科学及びこれらの総体の中での人間理解の考察法として大きな意義を持つ。(2)教育に関する人間学
教育は,「人間は教育し,教育され,教育を必要とする人間」(M.J.ランゲフェルド)である以上,最も重要な人間学の領域にある。
ところで,教育は子供と教育者との相互作用によって成立している。したがって,教育には,「子供の人間学」と「教育者の人間学」とが存在する。「教育者の人間学」は,教育者が「子供の人間学」を理解し,子供とともに創造していくことで成立する。
一人の教師の事例により,教育者の人間学について考察する。2.教育者の人間学の実践
事例 A市立B中学校 C教諭
・ 男子 28才 教職経験6年目
・ 数学科,教育機器担当,サッカー部顧門
・ B中学校はA市の郊外,新興住宅地に所在。
生徒数約450名,普通学級12,特殊学級1
・ 昭和58年度,C教諭は第2学年に所属,学年担当6名のうち,ただ一人他学年から移入。(1)C教諭の人間学への動機
・ 年度当初の職員会前に,学年主任より担任する生徒名簿がはじめて渡され,C教諭の学級の名簿の欄外に,「D生徒」の名前が小さく書かれてあった。
・ 校長は,職員会で,D生徒を「一応仮在籍としておきます。」と表明。それより2か月程前,D生徒は,校内で傷害事件を引き起こし,以来欠席状態にあり,第2学年の斯学級編成時に学級所属が決まらないままになっていた。(2)C教諭の決意
- 私がD生徒の指導者である。
- まず,D生徒を知り,十分に理解しよう。
- 凝集性の高い協同的集団をつくり,D生徒をよい集団の中に受け入れよう。
(3)C教諭のD生徒への人間学的アプローチ
- D生徒の傷害事件の理解
- 前学級担任,「てんかん」,学年主任,「かんしゃくの発作」
- 傷害事件後,診察したE精神科医の診断と所見,「微細脳機能障害,普通学級で社会適応の訓練をすべきである。」
- 保護者のC教諭への訴え,「幼稚園のときから,4人の精神科医にMBDの診断を受け,そのうち,F医師はこの子の教育のしかたについて学校に詳しく手紙を書いてくれた。E医師には傷害事件のとき,『MBD児が適切に教育されず,感情をともにされないことで起きた悲劇です』と言われた。」
- C教諭のD生徒に対する指導方針を示し,徹底した「個別指導」を依頼。
微細脳機能障害 (minimal brain dysfunction:MBD)
知能ははとんど正常か正常以上でありながら,いろいろな程度の学習や行動の異常があり,しかも,中枢神経のわずかな機能偏移を伴う。これにより,認知,概念化,言語,記銘,注意の集中,衝動の制御,運動機能の障害のいくつかが組み合わさってあらわれる。5〜10%の出現率があるといわれているが,教育現場では意外に知られていない。そのため,この子供たちの行動が理解されず,不当に扱われる場合が多いようである。