福島県教育センター所報ふくしま No.65(S59/1984.2) -035/042page

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雑     感

(躾=しつけ)

事務長  猪 股 二 郎

 あるデパートの食堂に行ったときのことである。

 正午近かったので空いているテーブルはなかった。
 しかたがないので,眺めのいい窓際のテーブルに同席させてもらうことにした。そこには,身なりのきちんとした品のいい老婦人と,5〜6歳位の孫と思われる女の子が食事をしていた。わたしは,少々遠慮しながら「この席空いていますか。」と聞くと「どうぞ」と祖母と一緒に言いながら女の子は食事している箸をおき,テーブルのうえの小さな包みを片付けてくれた。わたしは,礼を言って腰を下ろした。女の子は早速箸を手にして再び食事を始めた。そのときである。「Kちゃん,そんな箸の持ち方をすると他人様に笑われますよ」と祖母から注意された。すると女の子は素直に「そうだったね」と笑顔でこたえながら,箸を正しく持ちかえて食べ始めた。「そう,そう」と,祖母もうなずきながら笑顔でほめている。
 なんとほほえましい光景であろう。核家族化がすすみ,「しつけ」という言葉もあまり聞けなくなった今日,祖母による孫の正しい“しつけ”がなされている家庭のあることにわたしは感激し学ぶところがあった。

 われわれ日本人にとって箸の持ち方は食事の作法として身につけなければならない一つである。二本の箸を親指・人差し指・中指・薬指の四本の指を使って持ち,たくみに著さばきをして食事をとる。この持ち方がもっとも合理的で使い易い持ち方として,幼いときにしつけるのがしきたりとなっている。子供が箸の正しい持ち方ができるか,できないかは親の責任であることは言うまでもない。親がうっかりしていて,そのしつけを怠ると子供に自己流の持ち方を身につけさせてしまうことになり,成長してからはそれを直そうとしてもなかなか直らないものである。箸の持ち方などどうでもいいじゃないか,要するに物がはさめて食事ができればいいのと言う人もいるが,美貌と教養のある女性が何となくぎこちない箸の持ち方で食事をしているのはみっともないものである。こうした女性がやがて母となったとき,子供にどのようなお手本を示してしつけていくのだろうか。恥をかくのは当人ばかりではない。その親までが“しつけ”がなっていないと笑われ恥をかくことになるのではないだろうか。

 箸の持ち方によらず社会生活に適応する生活習慣(しつけ)が身についていなければ周囲から相手にされなくなり,また,周囲の笑い者になることを昔人は何よりの恥と考えたのである。「そんな持ち方をすると他人様に笑われますよ」この老婦人の言葉には,日本のしつけのきびしい伝続が受け継がれているからであろう。“しつけ”が,年齢に応じて言葉づかいから家事の手伝いにいたるまできちんとなされているにちがいない。それは女の子の言動によくあらわれている。「どうぞ」と素直に何の不自然さもなく,自分の包みを片付けて,わたしに席をすすめるしぐさは自然で心がこもっていた。この女の子は,祖母から一生の宝をひとつひとつ身につけてもらっているのであろう。

 戦後われわれは,自由を強く求めるあまり従来より受け継がれてきた大切なものを軽視してはいなかったか,と大いに反省もさせられた。“しつけ”の内容は時代とともに変遷するにしても,この老婦人のように「他人様のまえで恥をかくことほど不名誉なことはない」という“しつけ”の基本だけは失いたくないものである。


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