福島県教育センター所報ふくしま No.67(S59/1984.8) -014/038page

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受講者の感想

研究主題の追究をとおして

−教育研究法講座を受講して−

福島県立内郷高等学校教諭  小暮 徳一郎

はじめに

 理想と情熱に燃えて教職の第1歩を踏み出して以来早や20年,「初心忘れるべからず」という言葉がときおり自分の心をよぎる昨今であった。よりよい教師像を求めて,自己への厳しさに徹し,絶えず研究と修養に努めなければならないという研修への意識とその実際には,その感を一層深くしていた。実践のマンネリズムから脱皮するには,研修により自分を磨くしかないとは自覚しているものの,日々の指導や山積している実践上の諸問題の解決に追われ,研修の機会をのがしてきたようにも思われてならなかった。このように,研修に対する反省に思いをいたしていた時福島県教育センターの教育研究法講座に参加の機会が得られたが,この研修を終えた今,私はあらためて「教えることは学ぶことである」ということをしみじみ感ずるのである。以下,同講座受講の感想をいくつか列記してみる。

1.教育研究の原点−求め続ける教師でありたい

 教師としての生きがいや喜びは,苦労することを通して感得するものであるということがまず第1に想い起こされる。目の前の生徒をどう指導すべきか"明日の授業をどう組み立てればよいかを求め続けて教育研究を進めてきた10カ月はまさに苦労の連続であった。研究主題設定に当たっての問題をしぼり焦点化することの難しさ,教育研究のキーポイントといわれる仮説設定における試行錯誤,仮説の有効性を追求して行った検証授業の結果,予期したデーターが得られなかったいらだちと効果の判定の難しさ,そして,何よりも,研究報告書のまとめる際の苦労など,大げさに言うならば筆舌につくしがたいものであった。迫りくる期日が気になり,食事も喉を通らず,途中で研究をなげだしたくなる時もあったが,その折,私を勇気づけ,適切に指導していただいた教育センターの担当の石田,深谷両先生のおかげで,自己の心に鞭打って研究を続け,研修を修了することができたと思っている。「求め続ける者のみ,人を教える資格がある」といわれるが,教育研究で得た私の実践が,明日の授業の充実に,生徒一人一人を育てることに現在何らかのかたちでつながっているのではないかと思っている。

2.教育の本質をつく講義−実践を支える清涼剤

 教育研究法講座を受講して,前・中・後期とも,県内外の著名な講師の講義にせっしたことは,教師としての目をさまさせてくれたようにも思えた。大学卒業後,講義らしい講義を聴く機会が少なかっただけに,いずれも心に残るものであったが,特に,次の講義は,記憶あらたなるものがある。

  郡山女子大学短期大学部教授 長谷川嘉郎先生
「教育研究法概論」 先生の講義の序説として述べられた「心を目的にしっかり向けよ」,「研究のために,子供をモルモットにするな」,「批判精神・構想力を持て」の三つは,私の10カ月間にわたる教育研究を進める上での大きな指針となった。先生の教育的価値に目を向けた科学的な研究をするようにという教えのもつ意味に目を開かせられた。

  岩手大学教育学部教授 駒林邦男先生
「授業における思考の諸問題」 先生の情熱的で示唆に富んだ講義内容には啓発されるところが多かった。特に,「鹿を追う猟師は山を見ず」という諺を引用され,−教師の,ある時間の,−授業の改善のためには,学校教育の全てがかかわっているという話しには反省させられる点が多かった。「学校教育の硬直化」,「自己教育力」等広い視点から教育を見ての現状,今後のあり方はいまでも印象に残る内容であった。

3.小・中・高教育の一貫性−校種を越えた理解

 小学校,中学校の先生方とともに受講して,各先生方の研究の概要にふれ,小学校教育,中学校教育の現状と課題解決の一断面にふれたように思えた。小・中・高校教育の一貫性が重視されているが,それぞれの教育について理解を深めることが,その第一歩であるように思われ,このような点から,この講座の受講は,私に,今後の高校教師としての一つの目を聞かせてくれたと思っている。それにしても,小学校・中学校の先生方のバイタリティ,宿舎生活における熱心な研究態度には敬服させられたことが記憶に新しい。


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