福島県教育センター所報ふくしま No.68(S59/1984.10) -029/038page
語ろうとしていることがわかる。さらに,「いといみじう」と二語重ねたところに,雷のすさまじさがリアリティをもって実感され,自分を圧倒するようにおおいかぶさってくる。自己の能力のすべてを越えた大きな世界と対峙し,必死に女を守ろうとしている男の姿が,彷彿としてくる。
(5) a「戸口に をり 」 b「戸口に居たりけり」
aは,動詞の終止形で文が終わっている。それに先行する三つの文末が,「ありけり」「来けり」「問ひける」と,「用言+けり」であることを考えると,bの表現の方が落ちつくような感じがする。語り手は,aの表現によって,何を伝えようとしたのであろうか。その後に続く文の中にも,「女もなし」「かひなし」と用言の終止形で終わる文が二つある。これは,語り手が遠い昔のことを語るという姿勢をつい忘れ,思わず男の心及び目になって,その現実に向き合っているということをあらわしているのではないか。「戸口にをり」と,見えざる.敵対する巨大なものに向かって立ち続ける時の,その時の男の緊張感は,まさに語り手の張りつめた気持ちなのであり,「女もなし」と,あってはならない事実を見た男の目は,語り手の目と重なり,「足づりして泣けどもかひなし」という激しい慟哭を,語り手は,男と共に慟哭しているのであろう。(6) はや夜 も あけ なむ
「なむ」は,他に対する訴えをあらわす終助詞。未然形に接続して,「……シテホシイ」という意を添える。頻出する係助詞「なむ」と混同しないように注意する。「も」は,他に類例があることを類推させる係助詞。「はやく夜もあけてはしい」の意味である。言外に「雷もやんでほしい」という男の願いを読みとることができる。(7) a「食ひ て けり」 b「食ひけり」
「て」は,完了の助動詞「つ」の連用形。「ぬ」よりも,瞬間的な感じをふくむ,強い完了の意味をあらわす。「き」「けり」.などと結びついた場合には,「ぬ」と同様,「……テシマウ」を添えて口語訳するとびったりする。aは「食ってしまった」bは「食った」となる。「つ」を用いて,強く表現したところに,男と女にとっての悲劇が「ほんの一瞬のうちに起こってしまった」こと,そして,語り手の「起こって欲しくないことが起こってしまい,大変だ」という思いがこめられていると,とらえられよう。(8) a「 え 聞か ざり けり」 b「聞かざりけり」
「え」は,打ち消しのことばを伴って「……スルコトがデキナイ」という意味をあらわす副詞。bは「聞かなかったという事実を述べただけである。」aは,「聞くことができなかった」という意味になる。この表現には,女を守るために,全神経を張りつめて戸口に立っている男であるから,「普通だったら女の身の上に起こる,ほんのわずかな動きでさえ,決して聞きのがすはずはない」という男の状態を説明している。そして,それにもかかわらず,雷鳴という,男の力を越えた外在的条件のために,女の悲鳴を聞くことができなかったという悲劇の不条理,その不条理を無念に思う,語り手の想いがこめられているとみてよいと思う。(9) 「消え なまし ものを」
「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形。「まし」は,実際にありえないことを仮定して述べる(反実仮想)時に用いられる助動詞。ここでは,「死んでしまったらよかったのに」と,屈折した嘆きを表現している。実際は,女が「かれは何ぞ」とたずねた時に,男には答える余裕すらなくて,もちろん死を考えることなどは,全然できはしなかった。しかし,不安に身を固くしてはいたが,その先には,女との幸せな生活が確固たるものとして,男の心の中に在り,心はそのことで十分に充足していたことであろう。したがって,女が鬼によって,一瞬のうちに奪われた今となって,「問ひし時」は,まさに幸福の絶頂のように,男には輝やいて見えたにちがいない。しかし,「まし」という助動詞を用いて表現したということは,男のみがこの世に残されたという悲しい出来事が,まったく,まぎれもない事実として自覚されている事を表している。そして,死ぬこともままならず,これから,女のいない世をひとりで生きていかなければならない男の絶望的な悲しみを,私たちに訴えかける。以上,前段において,生徒たちに考えさせた点,想像(イメージ)させた内容について,要点のみを述べた。場所は芥川(ちりごみの川),それと対照的な白玉か女のイメージ,そして,キラキラ光る露は,女の命のはかなさを暗示しているようだ。白玉のような女を失った男の絶望感が,「消えなましものを」という表現にみごとに結晶している。文章はあくまでも,