福島県教育センター所報ふくしま No.68(S59/1984.10) -034/038page
随 想
フィンランドを旅して
科学技術教育部 大越 勝忠
みるみる高度をさげる飛行機からの景色は家一つない森と湖ばかりと思っているうちにヘルシンキ空港に着いた。空港から市内に向かうハイウエーの両側も,新芽をふいた白樺や菩提樹が混ざる樅の林がどこまでも続く。フィンランドはそんな森と湖の国である。大小無数の湖を縁どる針葉樹の濃緑色と湖面の水のきらめきが,5月の静かなスオミ(湖沼)の国の風情を充分にあらわしていた。冬,寒さの厳しいこの国では春と秋がなくて,夏の次にいっペんに冬が来る。よい季節に旅行できたことを喜ぶ反面,厳しい冬に耐えるフィンランドの人々の生活を想像しないわけにはいかなかった。フィンランドの北半分は冬は昼なし,夏は夜なしの風土である。日本とはとんど同じ面積にも拘らず,人口が500万にも満たないのもよくわかる。厳しい自然にじっと耐えているのがフィンランド人である。
ヘルシンキから100キロのへ−メンリンナに行く。ここは城下町で,赤煉瓦の古い大きな城塞が残っていた。城内の一部が服装の歴史を示す博物館になっていて,布団を縫い合せたような分厚い衣服やトナカイの毛皮の衣裳を見ただけで厳寒の冬が充分に想像できる。アウランコの国立公園に入り,湖畔で白樺を積んだ大きな木組みが目についた。夏至祭にかがり火をたくためのものだという。夏至には火をかこみ夜を通して歌い踊って楽しむのだそうだ。日光浴を充分に楽しみ,太陽の輝きがもっとも盛んな夏至に太爆の光を大切に思い,その恵みに感謝する心は北欧の人ならではの気持ちではなかろうか。10時頃になってやっと日は暮れかかる。黒々としたシルエットのような針葉樹の森の上に沈まないで残っている赤い太陽が印象的だった。午前3時にはもう明るい朝である。目抜き通りの花壇が美しい。ベゴニア,ゼラニウムなどの花が咲き競い、せめて短い夏の間に花を咲かせて楽しもうとする人々の気持ちがよくわかる。
ヘルシンキをみてまわり,石の建築が多いことに気がつく。ヘルシンキ駅,国会議事堂,国立美術館,みな良質の花崗岩でつくられた壮大な建築である。また,見上げる入口や柱に彫刻や記念像がかかっているのをみると,この国の人々の石を使う技術と美に対する眼が高いのに感心する。そしてフィンランドの地形が地球でもっとも古い陸地−バルト楯状地を基盤に成立していることを知らされ,あらためて市内いたるところに赤味や黒味をおびた花崗岩の露頭がみられることに気がついた,多少耕地があるとはいえ,少し掘ればすぐ固い岩盤であり,とても肥沃な土地柄とはいえない。過去の渡しい地殻変動を経て地盤ができあがり,また氷河が陸地を浸食し,砂礫を堆積させた。現在の湖沼は氷河でえぐられた凹地に水がたまってできたもので,浸食をうけない岩石が丸味をおぴて地表に露出している。これが大まかなフィンランドの地史である。始生代,原生代からの変転めまぐるしい地球の歴史がこの国の地形にあらわれていると思うと興味がつきなかった。
歴史的にスウェーデンの影書がつよいフィンランドは,母国語の他スウェーデン語も国語になっている。高校ではその他英語,ドイツ語,ロシア語,フランス語と巾広い語学学習が行われている。我々に英語で堂々と話しかけてくる高校生の語学の実力はすばらしいと思った。長い間,スウェーデンとロシアの両方から侵略をうけ,結局ロシアの勢力下におかれながらも.絶えざる独立への執念がシベリウスの“フィンランディア”を生み,属国の苦難の中から独立へ奮い立つたフィンランド人の不屈の魂と粘り強さに感動するものがある。もともと中央アジアのフィン人が住みついてこの国をつくったといわれ,東洋人の血が流れていることなども考えると多国語に通じていなければならない必然性があるのもうなずける。ヘルシンキを離れる日,白地に青十字のフィンランド国旗が,ビル街すべてに半旗として掲げられた。聞けば度重なる戦火で犠牲になった人々への追悼記念日だという。どこの国にも戦争体験の辛さが,あとをひいているのだと思った。
旅は人間を若返らせる。見知らぬ風景との出合い,人とのめぐり合いが人間の頭脳をリフレッシュさせてくれるからだろうか。今度の旅をとおしてアメリカ的なものとちがう,地味で粘り強いフィンランド人気質と白夜の森と湖の美しさに感ずるものが多かった。