福島県教育センター所報ふくしま No.71(S60/1985.6) -013/038page
「しつけは家庭で,学問は学校で」といわれるように,本来,しつけは家庭でその基盤が形成されるものであり,学校では主としてそのしつけを強化・発展する役割を担っているといえる。
しかし,近年多く見られる核家族,親自身の価値観の多様化,目まぐるしい社会状況の変化など,いずれも児童生徒のしつけの形成に適した環境とは言い難い。
したがって,学校としては,家庭で十分なしつけが行われ難い現状をふまえ,基本的生活習慣の指導を強化し,定着を目指さなければならない。
中でも,時間の厳守やあいさつの励行のように家庭よりも学校の集団生活を通して指導した方がより効果的に育成されると考えられる基本的生活習慣については,特に配慮していく必要がある。
なお,基本的生活習慣は,人間としての行動や態度の基礎となるもので,人間としての生き方について自覚を深めていく上でも大切なものである。
したがって,基本的生活習慣を正しく身につけていないと,生命・安全・健康がおびやかされるばかりか,人間関係にひずみを生じる原因ともなり,結果として非行などへと結びつきやすい。
しかし,基本的生活習慣の定着を急ぐあまり,一方的に強要することは一時的な効果だけしか得られないし,さけなければならない。
教師は,児童生徒の実態を十分に把握し,一人一人の理解に努め,自主性を大事にした援助・指導を行うため,学校としての方針を明確にして家庭や地域社会との連携を図っていくことが大切である。
具体例としては,各学校で行われている「学校だより」「学年・学級通信」の中に,非行関係の情報を掲載したり,授業参観日に道徳の授業を積極的に公開したりして児童生徒の考え方や実態について十分に話し合い,共通理解を一層深めていくことなどがあげられる。
(3)人間尊重の教育観を確立して
非行抑止などにあたっては,速効性を望むあまり,きまりを厳しくしたり,力で抑えつけたりすることで児童生徒の行為を規制しようとする考えの方がどうしても強くなってしまいがちであり,道徳教育が果たす役割の大事なことをわかっていても軽視してしまうことが多いようである。
また,道徳の授業でも指導技術面の工夫は多く見受けられるようになってきたが,道徳教育はとうあらねばならないか,といった本質的なことに関しての検討はまだ不十分であると思われる。
常に,道徳教育の本質を見失うことなく日々の道徳の授業をしていくことが要求されよう。
その際,非行抑止とのかかわりから教師が基本的に配慮しなければならない点としては,次のような構えが考えられる。
○ 児童生徒の心の痛みを教師自らの痛みとして受容できるよう児童生徒の理解に努め,よりよく生きたいという願いに向けて励ましてやる。
○ 何ごとにも信念をもってあたり,児童生徒とともに感動し合い,人間としての自己を語っていくことに努める。
○ 児童生徒を絶対に見捨てることなく,よりよい生き方を目指してともに実践していく。
以上のように,教師自身も弱い人間であることを自覚し,自分自身への問いかけをたえず忘れることなく,人間尊重の精神で援助・指導していく姿勢が望まれる。
4 おわりに
実践に直結する内容もあるが,道徳の授業では即実践とか速効性はねらわないため,非行抑止などへの効果をすぐには期待しえないことが多い。
しかし,道徳の授業を含めた道徳教育の成果が児童生徒の心の奥深い所に残存し,問題場面に直面した時,非行の抑止へ向かって強い力となって発現してくることを忘れてはならないと考える。
また,「評定がないから…」「高校入試の受験科目ではないから…」などと道徳の時間を軽視しがちな児童生徒に対しても,人間としての生き方を追究することは何にもまして大事なことなのだ,という認識を得させていってほしいものである。
〔参考文献〕
・道徳教育活性化への展開原理 全国道研連編
・基本的生活習慣の指導(小・中)文部省
・問題行動 山中康裕編著 日本文科学杜