福島県教育センター所報ふくしま No.72(S60/1985.8) -022/038page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

     K男の兄に「責任ある立場」を説いた。K男には,N子の立場を考え「交際をやめる」よう求め,1月10日の約束をいさめた。N子は「明日から登校します」と答えたが,T教諭は,その場限りの言い逃れとも感じた。それでも可能性を求め,信じることにし別れた。
     その日の夕方,N子の家を訪ねてみた。誰もいなかった。隣家の主婦Yさんが「先生ですね」と声をかけてきた。「夜になるとK男が迎えに来てN子を連れて行き,朝になると帰ってくるんですよ」と教えてくれた。
  1. 2月18日(月)
     N子は欠席した。家からは何の連絡もなかった。K男の家へ行ったT教諭は,K男の兄に会った。「昨夜の夕方6時には帰宅させた」と言う。N子の家には誰もいなかったが,Yさんの話では「今朝は制服で出かけた」と言う。N子の母に早目に帰宅するよう話した。
     夕方,N子の母に会った。N子は,昨夜8時ごろに帰宅したらしい。母は言った「卒業してからならね−もう少しなのに」と。N子の母は,成長期の大切さをわかってないし,学校教育の意味も考えたことがないのであろうとT教諭は痛感した。K男の親とも「社会的責任を果たせるまで」どう養育したらよいかを話し合うようにN子の母に勧めて別れた。
  2. 2月19日(火)
     早朝4時,T教諭はK男の部屋へ直行した。二人は服のままこたつに入っていた。K男の家人が知らぬ間に帰宅したらしい。すぐにK男の両親を起こし,二人の生活の様子について反省を求めた。K男の持っていたタバコも父に手渡した。父は言った「K男の兄を厳しくしてぐれられたので」と。それでK男を甘やかす理由にはならないことを父に話した。愛情があるなら指導が厳しくてもぐれたりはしないことも付け加えた。兄に少しも厳しくなかったからである。8時過ぎに学校へ連絡しN子を連れ帰った。N子の家族は誰もいなかったので,N子を特別指導することにした。
     学校長の許可を得て,N子と共に神社巡りをした。その間,最近の生活や心境,卒業してからの進路のことなど,更に神殿で手を合わせながら祈ったことを語り合った。N子は今の生活に満足していなかった。心の中をいろいろと話してくれた。T教諭もサービスに努めた。共に語り・遊び・手作りの食事をし大願成就を祈った。登校を約束し,お守りを与えて自宅へ送り届け,学校へ報告した。
  3. 2月20日(水)
     N子は登校した。職員室へ入り何人かの先生にあいさつした。T教諭にそっと一通の手紙をさし出した。「反省書」であった。
     反省書にはこんなことが書いてあった。
    「私は,今までにこんな先生に会ったことがなかった。遊んでくれたり,真剣に将来のことを考えてくれた。感激した。本当を言うと見つかった時,まっすぐ教育相談室へ連れて行かれて,説教されると思っていたのに…違っていた。先生からもらったお守りを大切にします。それから学校を休まないことを絶対に約束します」(卒業まで一日しか休んでいない。)
  4. 2月25日(月)
     N子は欠席した。T教諭は,直ちにK男の部屋へ直行した。N子は制服のままでいた。
     N子は「K男の姿を見たのでつい…」と言い,K男はタバコを吸っていた。約束していたので,二人を厳しく指導した。タバコは取り上げ,父親に手渡し「二人を大切にするなら厳しく指導してくれるよう」にといさめた。
     また,中学生のN子については,責任ある態度をとるよう指導した。
     その日の夕方,N子の母に会った。「N子の父が近く退院する」と言うことであった。
     両親で,N子の指導を考え,K男の両親とも協力し合って,責任を果たすよう頼んだ。
  5. 3月14日(木)
     N子は,無事卒業できた。下を向いたままだった。母親がはじめてあいさつに釆てくれた。N子の就職が決まりホッとしたところだった。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育センターに帰属します。