福島県教育センター所報ふくしま No.72(S60/1985.8) -023/038page
4 考察
(1)N子について
N子は,静かで無口な性格であった。母親とも余り語り合うこともなく成長した。勉強ができるようになりたい願望はあったが,学習への関心や意欲を高め得ない環境にあった。いつも一人で家にいたので淋しい感じを強めていった。
昭和58年の5月にS子が同じ学級に転校してきた。N子とS子はすぐに仲よくなり,常に二人で行動するようになった。6月11日に外泊したのが,二人の初めての非行できずなを固めた。
学力が低く,注目されたかった二人は,4人の女友達をつくり遊び歩いた。2年の二学期からは進路を意識したS子は,遊びをやめた。
N子は淋しかった。3年の12月にN子の父が入院し,母が看病した。その留守宅にK男が現われ,二人は夜間外出をするようになった。皮肉にも隣りの主婦Yさんが気づいていた。二人は,家人や先生が知らないことをよいことに冬休みから交際を深めた。N子の母は,外泊していないN子を「かぜで休みます」と学校へ報告し,N子の怠学を助長させる結果となった。
1月になって「かぜ」で欠席した時T数諭の指導を受けたN子は「何とかうまく切り抜けて」怠学を続けようとしていた。K男に夢中であっただけでなく,家にいても面白いことがなく学校では,友人たちが進学に関心を高めていて,楽しい雰囲気ではなかったのである。
2月17日にT教諭と会ったが,うまく逃れ,翌日欠席した。しかし,家に度々先生が来るので,落着かず,すぐに家をとび出していった。
2月19日のT教諭との半日間の教育相談によって,心にあった向上心が呼び起こされ,良心が刺激されて,本来のN子の姿に自ら気づいた。
N子は,自分は愛されないものであると考えていたが,認められている事実を行動で示されたことに感激し,約束を守り責任を果たそうと決心した。いつまで続くか心配ではあるが,少なくとも心身共によい方向に成長して行く中で,やがてわかってくれるものと信じている。(2)N子の家族について
N子の成長に対応できないまま,何事もなく穏便に卒業させようとしていた母や放任の父と姉であった。また,学校へ連絡もしなかった。
教師が自ら,N子の養育の仕方を実践し,やっと理解してくれた。学校へ連絡するようになった。K男の家へ電話したり,N子に手を焼くと訪問する教師にどうしたらよいかを相談するようにもなった。N子への関心と教師への信頼が生まれてきたためであろう。しかし,すぐに相談したりしない性格は,容易に変らなかった。(3)友人について
N子と行動を共にしたS子は,進学の準備でN子と離れて行った。他の女友達は何の変化もなかった。N子は,一人浮き上ってしまい,K男との仲が深まる結果になってしまった。しかし,指導を受けてK男から離れたN子をS子や友人たちは,よろこんで迎えた。(4)地域の隣人について
N子の隣人の主婦Yさんも最初は,かかわりたくない様子であったが,度重なる訪問に心を開き,進んで情報を提供するようになった。(5)学校の指導体制について
生徒指導への関心に個人差があった。時には連携を欠くこともあった。しかし,真剣に取り組む程,自然な心情の中で,同じ目標をめざす者として仕事への自覚が高まり,結局は協力し合う結果になり,生徒指導体制が充実した。5 まとめ
教師が,夜昼なく足を運び指導する姿には,本人も親も隣人も他の教師も関心を高め,心を開き「相互信頼・理解・協力」の成果が得られる。この成果が,問題を解決する鍵になってくる。
問題の解決には,熱意と誠意と根気が必要であり,指導が生きるようにじっくり時間をかけ,心で心を指導したい。異性交遊の場合は,特に相手を含めての指導が必要である。また,指導の継続のために,上司の励ましや同僚の理解そして家族の理解と励ましが不可欠の条件であったことを付記しておきたい。