福島県教育センター所報ふくしま No.72(S60/1985.8) -026/038page
<随想>
つれづれなるままに
科学技術教育部 吉田 陽一
朝7時,目覚ましの音が鳴り響く。寝ぼけ眼で時計をたぐりよせ音を切る。テレビのスイッチをリモコンで入れ,NHKのニュースを床の中で見ているうちに身体が目覚めてくる。7時15分,不承不承起きだす。身仕度を整え,体操をして朝食をとる。トーストにホットミルク,「野菜と果物は必ず食べなさい」という妻の声がよみがえって,トマト,ハッサクなどをかじる。7時45分,母から電話がかかってくる。「こちらも元気だから,安心して仕事をしてな」毎日毎日と思いつつもこれも親心と「わかったよ」と返事をする。新聞にざっと目を通し,「天声人語」を丹念に読む。時に共鳴し,意味不明なるものは熟考し,時にメモをとる。8時10分アパートを出る。以上が福島で生活をするようになってからの私の朝の日課である。毎日同じ朝が繰り返され食事のメニューに至るまでさしたる変化はない。古今東西,人生とは平凡なる日々の繰り返しの中に真実があるものなのか,などとたわいもない事を考える今日このごろである。
折りも折り,ある日おもしろいテレビ番組をみた。NHK特集『人間は何を食べてきたか』である。その第3集ワーディラムの遊牧の民ベドウィン族の生活を紹介したい。
ワーディラムとは水の枯れた谷の意でヨルダンの南部に位置する。その地でベドウィン族は羊やラクダを放牧し,古来からの生活様式をはとんど踏襲しながら暮らしている。羊の乳を絞り,バターやチーズを製造し,羊やラクダの毛で,じゅうたんやテントを作る。ラクダの糞を乾かして燃料にする。羊を飼うベドウィン族の一人は「羊の乳は人間を健康にし,砂漠に住む者の宝である」といい,ラクダを飼う者は「ラクダは乳を出し,燃料を与え,乗物にもなる貴重な動物である」という。水の枯れた谷では羊に食べさせる草も乏しく,潅木を求めて一日30kmも羊を追い続けることがあるという。ベドウィン族の朝食はパンと紅茶である。パンは中華なべをひっくり返したようなサージという鉄板で薄く大きく焼く。このパンをちぎって丸め,羊の乳から作ったサムネという溶かしバターにつけて食べる。紅茶にはチーズをくだいて入れる。このチーズはジャミードと呼ばれ,日本のものとは異なって,まっ白で石のようにかたく,塩っからいチーズなのだ。
チーズの製法がまた変わっている。羊の乳を絞って桶に入れる。炎天下に4日間おいておくと乳酸菌が乳を自然発酵させる。それを山羊の皮袋に入れて空気を吹きこみ1時間ゆすり続けると,乳が固まってくる。さらに別の袋に入れて約4時間程つるしておくと水分が除かれチーズができる。ここに岩塩をたっぷり練りこんで,こぶし大に丸めテントの上に干してできあがりとなる。約10年間はもつそうである。蛇足であるが,チーズ誕生の由来をつけ加えると,昔一人の旅人が羊の胃袋で作った水筒に山羊の乳を入れて砂漠を旅した。一日の終わりに乳を飲もうと水筒をあけると,乳は澄んだ水と固まりに変わっていた。その固まりを食べてみたところたとえようもなくおいしかったという。チーズは自然の生んだ食物,ということであろうか。
ふと,義母の一言がよみがえる。それは,今年のはじめ,義母と三人の幼い姪,妻を伴って猪苗代湖に白鳥を見に出かけたときのことである。湖面に静かに浮かぶ白鳥,上空を鮮かに舞い湖に滑降する白鳥,子供たちは,喚声をあげ「みにくいアヒルの子が白鳥になったんだよね」などといいながら,白鳥を手元に寄せようとパンくずを投げている。湖面を滑るように泳ぐさまは,やはり優雅の一言につきるなどと思っていたとき,義母が言った。「白鳥はスイスイと滑っているようにみえるけれど,水の中では必死に足を動かしているんですよね」と。
ワーディラムのベドウィン族の生活は,文明社会に忙がしく生きるわたし共の目から見ると,ある意味では自然を相手に悠々自適の毎日であるといえる。しかし,湖面を滑っているようでいて,水の中で必死に足を動かしている白鳥のように,羊を追って一日30kmも歩き,昔ながらの製法でチーズを作り,わずかの水を人と動物で共用するなど,生活維持のための労力は計り知れないものがある。生活様式は国によって異なっても,生活を維持するために努力することは同じであり,それが個人の幸せを生み,ひいては人類の歴史の維持・発展をもたらすというのは論理の飛躍であろうか。