福島県教育センター所報ふくしま No.73(S60/1985.10) -036/038page

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 ≪随  想≫ 人間担任(その4)

教 え 子 た ち の 追 憶

教育相談部  坂 本 善 一


 たそがれの庭先に,灯ろうの火がポッとともって,故郷のお盆です。
 折から,帰省中の,そして地元にいる,もう四十路に手のとどきそうな教え子たちと,彼らの小学生時代をしのびました−盆踊りの太鼓の音が遠くに聞こえる縁先で−。
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 「とってもきれいでした・・‥‥先生の肩車で眺めたあの夕焼けが…。」と,あどけなかったころの面影を浮かべながらN子は思い出をたどります−あれは,初秋。閉門まぎわのの校庭で,友だちや先生は“都遊び”に夢中。やがて閉門を告げる鈴の音。遊びの輪がとけて,校庭は静まりかえりました。石南花色に暮れかかる校庭の砂場に,私はポツンと一人。”ててなし子”とみんなにいわれて悲しい,母と二人暮らしの私。先生は,やおら,この私を肩車にして夕焼けの中にたたずみました。私は,土と汗にまみれた両手で,先生の額にしっかりつかまりました。いつとき,先生も私も,ただだまって,あかね雲を見つめ,夕焼けに染まっていました。そして先生は,ふりかえり,ふりかえり馳けて帰る私の後ろ姿を,つじ陰に消えるまで見送ってくれました。
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 「先生におねしょをひっかけちゃって‥‥なんとも恥ずかしくて‥。」と,てれながら,童顔をのぞかせてF男は追憶します―それは,宿泊訓練のときのこと。降るような星空の下,友だちとかわるがわる天体望遠鏡をのぞきました。やがて車座になってキャンプファイヤー。友だちのどの顔も,どの瞳も,炎に輝いていました。いつしか炎が鎮まって四周には夜のとばり。教室の床にござを敷き,毛布にくるまって,三三五五ゴロ寝。俺はじゃんけんに勝って,先生と隣り合わせ。先生のおとぎ話を,夢うつつに聞きながら,いつしか夢路をたどりました。
 夜明け近く,先生は腰のあたりに“湿気”を感じて目を覚ましたらしい。「ヤッタな…?F男のヤツ‥」―先生はそんなことをつぶやきながら,ねぼけ眼の俺を抱いて隣りの部屋へ忍び足。予備のパンツにはきかえさせてくれて,またひと寝。やがて鈴の合図で起床。ところが,ござを通してできたおねしょの染み。これだけはみんなに隠しようがないと思ったのでしょう,先生は笑いながら,「この染みは,先生とF男の大汗だ!」と一声。この一声に,教室中がドッと笑って,あとはみんな,米をとぐ者,菜っ葉をきざむ者‥…と,それぞれの持ち場へ。俺は先生といっしょに得意の“火男”の役につきました。
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 「はるかな那須山にはもう雪。この辺りにも,もうまもなく雪が降るのでは‥‥‥というのに,俺の家ではまだ畑の豆引きもしてなかったし,稲の脱穀もしていなかった…。」と,相変わらず口が重くボソボソと話すM男。長男で地元にいるM男が今でもはっきり覚えているという,それは―あのころ,母ちゃんは4人目の赤ん坊を産んだばかり。父ちゃんは疲れで臥せっていました。俺は,朝晩の炊事,妹や弟の世話。それで,4,5日学校を休んでいました。そんなある日の放課後,友だちや先生が,みんなで釆てくれて,豆引き,稲運びの手伝い‥‥助かりました。
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 そのころ,私は,若気の至りで,この子供たちには随分厳しくもしたし,叱りもした。しかし,そのことは先生の手前,話題にはしなかったらしい。それにしても,ぼうとかすむ記憶をたどりながら語られる教え子たちの追憶は,どれもこれも“子供と先生との人間的なふれ合い”の話題に集中しているから,不思議です。

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