福島県教育センター所報ふくしま No.76(S61/1986.6) -003/038page

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自己教育への教育でなけれぱならない。」(教育学新辞典、第四巻71ぺ一ジ、自己教育、ドイツ、ヘルダーHerder一出版、1971。)というわけである。言わずもがなのことであるが、所報第71号の3ぺ一ジでも述べておいたように、教育をする者と教育される者とが別人の場合を他人教育、同一人の場合が自己教育という分類によっている。
 このようにして、人間の教育は本来、自己教育に到るべきものであるから、その遂行力、すなわち自己教育カを育成することは、まさしく教育のあるべき在り様(よう)であって、教育が混迷を脱出して、その実践が正常に行われ、真に望ましい効果をあげるためには、不可欠のことでなけれぱならない。
(3)臨時教育審議会は、その第二次答申(昭和61年4月23日提出)において、「本答申で目指すものは、個性重視の原則に立って、生涯学習体系への移行を主軸とする教育体系の総合的再編成を行うことにより、現在の教育荒廃を克服し、21世紀に向けてわが国における社会の変化およぴ文化の発展に対応する教育を実現しようとすることにある。」(第二次答申、はじめに、の中から)と述べている。そして、生涯学習にかかわっては、「これからの学習は、学校教育の自己完結的な考え方を脱却するとともに、学校教育においては 自己教育力の育成 を図り、その基盤の上に、自発的意思に基づき、自己に適した方法を自らの責任で選択し、生涯を通して行わるべきものである。」(第二次答申第五節(2)教育体系の再編成の目標による。下線は筆者。)と指摘している。
 自己教育力の育成ということは、生涯教育(生涯学習)の視座からも考究されることになる理由を、われわれは知ることができるであろう。
 ただ自己教育力の育成を学校教育に限定して考えることではないのであって、教育の全過程において展開されなけれぱならないことに留意する必要がある。答申文のこの箇所は、生涯教育からみる学校教育のあり方に即して表明されたものと考えるべきであろう。

2.自己教育について
(1)自己教育力は、自己教育を遂行する能力であるとすることができるが、そもそも自己教育とは何であるか。
 協同出版の教育学小辞典では、自己教育の項でつぎのように解説している。

いわぱ「他人教育」に対する言葉。他人教育の代表的なものは学校における教師による教育であるが、自己教育は自己の努力によって自己を教育する意味のもので、まず学校卒業後の自己学習が念頭に浮かぷ。しかし学校卒業後の自己学習も、最近は生涯教育の名のもとに外部からの意図的な社会教育が構想されているし、学校教育の期間中も、参考文献などによる自学自習が行われている。また家庭においても、両親の「しつけ」のほかに、子どもは「遊び」を通していろいろなことを自分で学ぷものである。この点で他人教育と自己教育は、家庭、学校、社会における教育で、強調点は異なるが並行して行なわれるとみるべきである。ただ自己教育は、興味、欲求などが中心となって行なわれるものである。

 辞典の解説はここにとどまっているが、編者の一人である山田栄博士は、その著「教育原理」(協同出版、pp、16-18)の中で、「自己教育、自己学習という場合は、自己の必要(要求)や興味などから自発的に行なう自己教育(学習)の方法や技術が強調されているようだが、ここにとどまってはなるまい。進んで自己自身の考えを決めていく面を重視すべきであろう。自分で学習しながら自己自身を規定して面(方法)を重くみたいというのである。自分で責任をもって自由に判断し自己自身を確立していく主体性が自己教育の本質なのである。」と説かれている。さらに、「ただ責任をもって自由に判断し自己自身を確立していく場合、視野が狭いため、とかく独断に流れ偏狭になるおそれなしとしない。このようなことを予想して、教育者の教育(他人教育一筆者注)を謙虚に望む被教育者は、本当の自己教育を求める人である。」と述ぺられ、ついで自己教育と他人教育とのかかわりについて言及されている。両者の関係は、上記辞典の解説のように並行して行われて


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