福島県教育センター所報ふくしま No.78(S61/1986.10) -029/038page

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個人研究

生徒が意欲をもって学ぶ数学科の授業をめざして


−授業設計の試み−

会津若松市立第六中学校教諭  折橋  謙

1 はじめに
 「教える」とは,どのようなことなのだろうか。いっの頃からか,やる気がなく,思考することを拒否するかにさえ見える生徒が目こつくようになった。勿論,すべてがすべてというわけではない。しかし,下位の生徒に限らず,固い表情で,しかも寡黙に1時間の授業に堪え忍んでいるとしか言いようのない状況が多くみられるようになった。
 豊かさの中に生きている生徒たちではある。生きがいも見つけられず,目あてのない不満にあえぎ,そして授業においては,教えてくれることを漫然と聞いてただそれを覚え,試験の答案に書けばよいという程度の意識しか持ち合わせていないのかもしれない。しかし,それ以上に,教師としての私が,生徒たちの主体性や独自性を奮い去っていはしまいかとの自責の念にとらわれる。
 柔らかな受容の雰囲気.師弟同行的な姿勢もふくめて,これまでの授業で「善」と思い込んでいたものを問い直し,真に「教える」ことの意味を追求していかなければならないと考えている。

2 研究のねらい
 数学科の学習では,学年の進行に従ってその内容が抽象化・形式化・論理化し,かつ累積化していくことも確かである。そのための難しさの克服は,数学科における本質的な部分で,当然考えていかなければならないのであろう。が,その上で,すべての生徒たちにとって,毎日の学習が意義あるものとなるためには,「とっつきやすいこと」「おもしろいこと」「ためになること」という条件が不可欠のものである。教師の一方的な教え込みを抜け出して,このような授業を展開することができれば,数学好きで,意欲的に学ぶ生徒が育ってくれるものと思われる。
 そこで,次のようなねらいのもとに主題を設定した。

教料指導において教えなければならない内容を,生徒の学びたいものに変えることができれば,生徒は意欲をもって数学の授業に取り組むであろう

3 研究の手順
(1)文献の研究
(2)授業の設計
(3)授業の実践
(4)考   察

4 研究の概要
(1)「教える」ことと「学ぶ」ことの統一
 数学科のねらいのもとで「教えるべきこと」としての教科内容は,生徒にとってはまだ「わからないもの」である。それをいかに「わかりたいもの」「追求したいもの」に転化できるかということこそ,私にとっての授業改善にかかわる重要な視点と思えるのである。もし,今は求めてはいないとしても,生徒たちが次第に求めることができるように,その世界を変化させ,拡大させられれば,意欲をもって授業に参加し,数学の学習を意義あるものとできるはずである。このような意味で,「教える」ことと「学ぶ」ことの統一が図られた授業をめざしたいと考えている。
 ところで,「教えなければならない」教科内容であるが,教師にとっては熟知のもので,しかも「教える」べく意気込みもさかんであるとしても,それが生徒たちに対して一方的・機械的に伝わるわけではない。そこには,何らかの媒介となるものがあるはずである。それは,教師によるはたらきかけなのだと思う。とすると,「教える」と「学ぶ」が統一された授業は,次の2つの側面から追求されなければならないで

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