福島県教育センター所報ふくしま No.79(S61/1986.12) -006/038page

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小・中学校道徳研究

生き方を共に学ぶ道徳の時間をめざして

学習指導部  緑 川   透


1.はじめに
 道徳の時間が設けられてからまもなく30年になろうとしている。しかし,「道徳」というと一般的には,現在でもまだ,”固い.模範的,理想的,聖人君子,”といったイメージをもっている人が多いようである。われわれ教育に携わるものでも,道徳教育が自分にできるのか,その資格があるのか,と思い悩む場合が少なくない。しかし道徳教育は本来そのようなものではない。道徳の時間特設以来,幾度かの教育課程改訂でも変わることがなかった道徳教育の理念は,教育の根本精神,すなわち,人間尊重の精神である。道徳が教科として位置づけられない理由がここにある。教科教育も究極には人格の完成を目ざす点では一致しているが,道徳教育は人間の核心ともいえる人間性そのものを養うことを目標としている。専門的な知識・技能を有し,児童生徒よりは年長であり人生経験が豊富であるはずの教師でも,道徳牲の点からすれば必ずしもすぐれているとは言えない。ある面では児童生徒の方がすぐれた道徳性を有している場合さえある。
 教師自身が弱さを抱えた人間であるが故に,道徳の時間においては,人間性を教え込むことはできない。必然的に,同じ人間として児童生徒と共に人間としての生き方(道徳牲)を考えるということにならざるを得ない。“道徳の授業”でなく”道徳の時間””教材”でなく“資料”とよばれるのも,教え込むのではなく共に学ぶという道徳の”師弟同行”の姿勢の表れだと思う。
 われわれ教師は,間違いを犯す弱さをもった人間として,児童生徒と共に人間としての生き方を考えるとき,はじめて道徳教育を行う有資格者になれるのであろう。

2.道徳の時間の指導上の諸問題
 道徳教育を行う有資格者であるという自覚をもっていても,いざ道徳の時間に向かったときにはさまざまな問題点や悩みが生じる。
 下の表は,今年度の当教育センターの道徳講座に参加者が持ち寄った資料(一人当たり2〜5つの問題点)からまとめたものである。

道徳の時間の指導上の諸問題 <表1>
昭和61年度(小学絞1次・2次計50名)
問 題 点 度数 問 題 点 度数
資     料 40人 評     価 7人
発     問 33 話し合いの仕方 7
内面化・一般化 26 実態の把握 7
指 導 過 程 25 視聴覚機器 5
指 導 技 術 9 学級指導と混同 4


3.生き方を共に学ぷ道徳め時間を目ざすために
 前述の問題点について.資料と指導過程の二つの問題点に大きく分けて,よりよい道徳の時間となるような方策を考えていきたい。なお,発問は資料の問題に含め,内面化・一般化は指導過程の中に含めたい。
(1)道徳の時間に何を期待すべきか
 教科の授業は,既習の知識や技能をもとに,既習の学び方を使って新しい知識や技能を自己のものにする。そして,さらに未知なるものへと拡大・発展していくことを教師は期待して指導法を工夫する。教科の場合はそのような児童生徒の変容が,多かれ少なかれ何らかの形となって一時間の

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