福島県教育センター所報ふくしま No.79(S61/1986.12) -008/038page

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  4 発問
 発問を考える要素としては,児童生徒の実態・ねらい・資料・指導過程が挙げられる。
 これらの要素を個々ばらばらに考えるのではなく,四つのことが同時に満たされなければ発問としての効果は期待できない。
 児童生徒の実態をもとに,何のために(ねらい)何を(資料を通して),どこで(指導過程)行うのかを明確にしなければならない。
 そして,それぞれを教師が明確におさえていることにより「どのように」という具体的方法が自然と明らかになってくるものと思われる。
 われわれは研究会等ですばらしい道徳の時間を参観すると,感激してしまい「よし,自分も」と同じようにやってみることがよくあるのではないだろうか。あるいは研究物を読んで自分の指導に取り入れたりした経験は多いことと思われる。
 しかし,自分が意図したような道徳の時間になったかというと「こんなはずでは・・・」と,期待はずれに終わることが多かったのではないだろうか。
 ここで,あらためてその原因を考えてみる。
 ○ ねらいを一貫してもっていたか
 ○ 資料の分析(吟味)を納得いくまでおこなったか
 ○ 指導過程は事前指導―導入―展開―終末―事後指導と一連の流れをおさえていたか
 ○ 学級の児童生徒の実態をしっかりと把握していたか
 ○ 予想される反応をあらかじめ,しっかり予想し対応していたか
 ○ 「すばらしい発問」だからそのまままねしたということはなかったか
 等,以上の点を反省してみると,すばらしい成果だけをいただこうという安易な考えで道徳の時間に臨んでいたことに気づくのである。
 われわれは,日常の積み重ねが重要であり,しっかりした学級経営が道徳の時間の基盤となるということも理解している。しかし,堂々と意見を述べ合う児童生徒や適切な発問をする先生の姿を目の前にすると,自分の学級での積み重ねの不十分さを忘れ,そのまま自分の学級でもやってみたくなるのではなかろうか。
 道徳の時間の発問は,児童生徒一人一人の内面的世界に自ら問いかけさせる働きをもつものであると思う。目に見えず耳に聞こえぬ「心」を対象とすることを常に忘れないようにしたい。
 中心発問・基本発問・補助発問,または,理解的・判断的・心情的といった内容の資料の場合の発問,あるいは,導入時の発問・展開時の発問・終末時の発問等々,発問の種類やパターンがすでに多くの先輩方によって研究されている。われわれは,そのおかげで様々な実践活動ができる。
 しかし,再確認しておきたいことは,あくまで自分の学級の児童生徒の実態をもとに何のために(ねらい),何を(資料を通して),どこで(指導過程)行うのかを明確にしておかなければ適切な発問は出来ないだろうということである。
 (3)指導過程に対する考え方
 道徳の時間の指導過程とは,児童生徒にねらいとする道徳的価値について主体的な自覚を深めさせるための指導の手順を示すものととらえる。
 指導過程に関する主な問題点は,以下のようなものであった。
 「一定の形式化・固定化の傾向,導入の在り方,終末段階の指導」
 1 基本過程 <表2>
段階 各 段 階 の 役 割 構成手順
導入 ・ねらいとする価値への方向づけ   2
展開 ・ねらいとする価債の中心
 資料における追求・把握
・ねらいとする価値の一般化
  1
終末 ・ねらいとする価値についての整理・まとめ   3

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