福島県教育センター所報ふくしま No.79(S61/1986.12) -009/038page
1の表2・図1が指導過程の基本的な形態といわれている。図1は生活―資料―生活の型であり段階の番号は表2と同様に構成手順である。
2 指導過程を柔軟に
生活―資料―生活の型は最も多く用いられているが,この型は,問題意識を持たせ,資料から道徳性を考え,自己の価値観の変容を図らせ,最後に意識化・意欲化に結びつけるというほぼ理想的とも思われる型といえる。しかし,導入時の生活と中心となる資料との間に断層が生じやすいので留意しなければならない。
また,ねらい達成のためには,資料―生活の型の方がよいと考えられる場合は直接,資料から導入に入って何らさしつかえがないし,むしろ生活―資料―生活でなければならないという固定化した考えは誤りである。
形式化・固定化に陥りやすい原因は,ねらいや内容や児童生徒の実態などを考慮せずに,「この形式で行えばまあまあ大丈夫」という教師自身の安易な姿勢にあると思われる。
重要なことは,柔軟な考え方で学級の児童生徒の実態とねらいに合った指導過程を工夫することである。
3 導入
道徳の時間は一時間扱いが多く,また,資料に含まれている価値は必ず2〜3あるので,ねらいとする価値へしっかりと方向づけを図る段階でありたい。
生活から入る場合は,どのような学習をするのかという心構えをもたせることができ,また,一般化を図るときに,想起することにより価値の深まり広がりを自覚しやすいという利点がある。留意点としては,資料への橋渡しを工夫することと短時間でまとめることである。
資料から入る場合の利点は,資料の世界に浸りやすく,感動を受けやすいということである。心情面を深めるような場合に向いているといわれている。留意点としては,資料から抜け切れず,一般化が難しくなりがちということである。
児童生徒が自己の価値観に自分自身で気づき,より良い価値観へと自分自身で変容することを期待する道徳の時間では,「〜すべき」「〜しましょう」「〜しよう」は,避けなければならない。教師主導の授ける時間になっては内面化は図れない。ほのぼのとした,児童生徒一人一人の心にしみ入るような雰囲気で行われるように,また,決意表明はさせない,といわれる理由がそこにあるのだと思う。
4.おわりに
昔,「おしつけ道徳さようなら,あんたの息子を信じなさい」という一節のある歌がはやったことがあった。その当時は,ふざけた歌としか思わなかったが現在ではなかなか味わいのある言葉のように思われる。
児童生徒は,不十分な面を補充すれば大人になるという存在ではないし,小型の大人でもない。教師も児童生徒も一人一人が弱さをもつ人間であるということを思えば,教え込む・おしつける・授ける,という意識では,本当に力として身につかない。特に道徳の時間においては,上からのおしつけでは児童生徒が自己の価値観をより良い価値観へ変容させることは不可能であると思う。
生き方を共に学ぶ道徳の時間の実現のためには児童生徒を信頼し,人間としての生き方・在り方を共に学んでいこうとする教師の姿勢がまず望まれるのではないだろうか。
<参考文献等>
○道徳教育の手引 福島県教育庁義務教育課編
○全国小学校道徳教育研究会 竹ノ内一郎元会長の講義記録
○筑波大学 青木孝頼教授の講義記録
○道徳指導上の諸問題(小・中) 文部省