福島県教育センター所報ふくしま No.79(S61/1986.12) -030/038page

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前の学校の担任教師の記録をかりると

○ ひとつのことに長続きせず出歩く。
○ 奇声を発しパニックをおこすことが,一日何回もありいつまでもあばれている。
○ みんなといっしょの行動がとれない。

  上記のように記されている。
 そのころの母親の考え
この子は,障害児だから人にめいわくをかけないように,きびしくしつけていきたい。できるだけ普通学級で教育したい。

  という強い要望があった。そのうちにK男が登校拒否をおこし親が困って本校に入学(入級)
(2)
本校入学当初のK男の特徴と教師の対応

○ 母親が迎えにくると泣きわめく。
○ 友だちと手をつなぐのをきらう。
○ 指示をきらい,泣きながら教師をはたく。
○ 気にいらないと室外へとび出す。

教師の働きかけとして基本的におさえたこと。
○ 母親の教育からはじまる。
 親がなやみ情緒不安定になると子どもにあたり神経質になる。朝夕送り迎えの 折りに話し合う。子どもの弱点を話さないようにして学校でのようすを話す。
○ パニックをおこしているときは,禁止のことばをいわずに,じっと見守る。時には,無視する。
○ 興味のあるもの,好きなことを早く見つけてやるよう努力する。
 入級当時は,なかなか子どものこうした特性がつかめない状態であった。
 朝と帰りの挨拶。きのうのことなど教師からことばをかけてやり,やさしく子どもの目の高さで対応するようにした。

(3)
2年生になってパニックが少なくなってきたK男

・5月1日
 運動会の練習。親学級での練習「行かない。」と泣き,A男をたたく。教師が外へ出るとあとからついてくる。組み分けのとき1組〜5組をまぜて紅白をきめる。「ぼくは,2の3組。」とがんばる。親学級の先生に「紅白にわかれたんだから組ではないんだよ。」と言われて泣きわめく。ほかの先生が,「泣くならぬけなさい。」といったら「ぬけない。」と泣きながらみんなの中に入ってきた。
 〔教師の無視が逆にK男を集団の中に入らせるきっかけをつくったともいえる。〕
・7月1日
 母親から,「漢字の辞書を与えてもよいか。」と相談を受ける。家でも教科書を開いているうちに漢字を聞くようになるということだった。
 厚い漢字辞書と,スケッチノートを朝から開きこまかい字で書いている。1枚書きおわると担任がまるをつけ100点と書く。「じょうずね。」「やった。」と,にこにこする。まちがった字に赤ペンで直してやると,とたんにノートをなげて泣きだす。担任が消しゴムで消して書いてやった。「なおしてね。」といったら「なおしてね。」とおうむがえしにかえってきた。宿題は,K男の好きな漢字をだしている。
 〔まちがいを指摘されることを極端にきらうので,取り扱いを考慮する必要がある。子どものやりたいこと今熱中したいことを,どんな理由があるにせよ,継続させることが大切であることを教えられた。〕
・10月8日
 音楽祭は,親学級に入れて練習する。担任もK男の係(女子)をきめて迎えにくる。喜んで手を

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