福島県教育センター所報ふくしま No.81(S62/1987.6) -003/038page

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 以上長い引用になったが、この2つの引用文から、今日教育において個性の問題を考察すべき理由を明らかに読み取れると考える。

2.個性とは

 われわれは,まず、個性の意味をたしかめなければならない。いくつかの解説を検討してみて、つぎのものが、一応筆者としては適切であるように思われる。
 広くは個体の性質、とくにその独自の性質をさすが、普通は人間についていうことが多く、この場合は,個人を他の個人から区別しうるような、その個人独自の特性の全体を意味する。一般的能力・気質・性格などの特性は個性の構成要素であっても個性そのものではなく、それらを含む統一体が個性である。パーソナリティーや個人差と混同されることもあるが、パーソナリティーは他に比べての独自性よりも、個人の統一的構造に重点を置いた語であり、各人のパーソナリティーを、その独自の特性に焦点を合わせてみたものが個性だといえる。個人差は個人の心理的、身体的特性についての平均からの逸脱度を意味し、数量的に測定できる特性についていうことが多いが、個性は一つ一つの特性の、比較的な意味での特異性ではなく、不可分の統一体としての個人の、かけがえのないもちまえである。個性は異常性ではなく、普遍的人間性の基礎に立つ、個人の独目性と唯一性を現わしており、人間はこのような意味での個性的存在である。したがって、人間尊重を旨とする近代教育の立場において,子どもの個性が重んじられるのは当然である。すなわち、上述の意味での個性は各人に自然にそなわっているところであるが、それをさらに発展させ、十全に実現することこそが教育の目的であるとされ、個性は教育理想の意味をになうようになる。(下略)(教育事典、小学館、昭和41年4月11日発行P139から引用)。
 ところで、教育の目的は、人格の完成をめざすのであるが、このこととどのようにかかわるのであろうか。それはこうである。すなわち、人格の完成をめざすことは、人格の資質内容の全面的調和的発達をはかることであるが、そのようになった資質内容の発動は、その個人の独自性においてなされるのでなければならない。かくして、それは、その個人の個性の十全な実現であるわけである。その個人の人格の独目性・唯一性が、その個人の個性にほかならない。

3.個性の伸長ということ

 個人には、それぞれ自然にそなわっている個性があると見られる。それが、生活を展開しているなかで、よりよい状態に発達させていくことができるのであるが、このような状態の実現が、個性の伸長といいうると思う。
 その根源的な動力は、人はだれでも、よりよい自分になろうとする欲求をもっているのであって、それによって、よりよい自分になろうとする行動が発動してくるということである。そうして、実際においては、その個人が生来もっている諸性質諸能力によって規制されざるをえない。それゆえ、
 その生来具有するものが、のぞましいはたらきをするように、短所は補強し、長所はさらに伸ばし、総じて全面的に調和的に機能しうるためには、自らかくあるように自覚して努力しなければならないし、すすんで他からの援助を求めることも必要となるのである。
 このようにして、個性の伸長は、次第に高められ、より確かなものになっていくわけである。しかも、それは,他者や環境とのかかわりのなかで、その相互作用を通して具体的なかたちをあらわすのであり、自己の認知・自己向上の意欲・自己に適切な方法の駆使・自己充実の体験等の遂行の度合に応じて現実化されるものである。とくに子どもは、知識の学習・感情の陶冶・意志の訓練等の場を通じて自らの個性を伸長させていく。子どもはこのように自らの個性を伸長させるのであるが、それは,教師や両親や大人たちの、理解・尊重・指導によって豊かになっていく。すなわち、子ども自身が生活の各面で生き生きと自分の持ち味を発揮し、自己充実を体験し,自らを高める状況をより幅ひろく創出していけるようになるということである。(岩波、教育小辞典参照。) 

 

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