福島県教育センター所報ふくしま No.83(S62/1987.10) -010/038page
随想
五葉松を育てて思うこと
教育相談部 斎藤 健一
私は20年程五葉松を育てている。それも実生からである。趣味というより自分にとって安上がりの健康法になっている。疲れて帰宅しても五葉松に水をかけているうちに疲れがとれてくるのである。家族公認のもので気分転換にもなるような感じがしている。
仕事で使う頭と五葉松をいじるときの頭は完全に別なのではないかと思う。五葉松をいじっている間は、仕事の時に使う脳は休息しているためだろうと納得しているのである。どんなきっかけからかというと、私が20数年前に赴任した中学校の父親たちの大部分は授業参観に来ない。ある父親は、子供の教育は母親任せにしていて、現金になる五葉松の育苗に関心が専らであった。そのために家庭訪問の時だけでもそんな父親と話し合いたいと考えた。五葉松のことが頭一杯の父親と話し合うには五葉松に関心を持つしかないと考え、当時の教頭先生に、家庭訪問の前一週間五葉松の特別講義を受けて家庭訪問に出かけ、五葉松の話から子供の話が出来たのである。関心がある振りをしたばかりに育ててみないかと五葉松の種を世話してもらうことになったのがきっかけであった。
そんな訳で、種を蒔くところから手掛けているせいか一本たりとも粗末に扱ったことがない。一本一本手を掛けている。本数だけは沢山あるので樹形の良いのもあるが中にはそうでない五葉松もある。むしろ樹形の悪いのが多い位である。それでも、どの五葉松も良い樹形にしたいと考え、針金をかけて整枝し、形を整えようと苦労している。良さ、生かし方がすぐ判る木もあるが判りにくい木も沢山ある。どうにかしたいとあれこれ思案をする。そんな時決ってする方法がある。違う角度から何回も鉢を回しながら見直すのである。すると必ず良さ・生かし方が見つかるのである。そんな時、いつの間にか子供達の場合どうだろうなあと考えていることが多い。
私は今まで、子供達を一方向からのみ見て評価していなかったか。そして、一方から見た評価の先入観でいつも子供を見ていなかっただろうか。どうしようもないように見える五葉松でも、何回も回しながらいろいろな角度から見て、今後どのような形に育てたらよいかを思いめぐらせていると必ずその木に合った生かし方が見つかるのである。五葉松の持っているわずかな特徴を見つけ、生かすために、どの枝を残し、どっちの方向に曲げたらよいかを考えて針金をかけて育てていると結構見られる五葉松に育ってくるのである。こんな時も子供達の教育と二重写しにしているのである。五葉松を直幹型にするのか斜幹型に育てるかの基本的なことは若木の時にし始める方が効果的で、それは子供のしつけに似て共通なことが多いのである。盆栽の樹形を決める時期があるように子供でも個性を見つけて生かすタイミングがあるように思える。可塑性に富む子供の時に一人一人の個性を見つけ出し育ててやることが大切なのである。
今日、個性の伸長が大きな教育課題になっている。個性豊かな子供がいる反面、個性が見えにくい子供が増えてきている。個性の伸長をどの子供にも実現するためには、その子供なりの個性・特徴を先ず見つけて育てていきたい。どんな子供にも得がたい良さが必ずある。見つかるものであると私は五葉松を育てながら考えるようになった。勉強の面、学級の生活の面だけといった一つの方向からだけ子供を見るのではなく運動や遊びの場、野外活動などといった多角的な面から子供を見直し、個性や良さを積極的に、肯定的に見つけていきたいと思っている。