福島県教育センター所報ふくしま No.86(S63/1988.6) -002/038page

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特別寄稿(論説)

国 際 化 と 学 校 教 育

郡山女子大学短期大学部名誉教授  長谷川 壽郎

はじめに

 昭和63年4月11日の朝日新聞所載,私のすすめたい一冊の本という記事のなかで,朝日新聞論説委員の白井健策氏が,「異文化への理解」なる一冊をすすめる文でつぎのように述べてあるのに動かされた。

 「国際化」なんぞと言挙げするのなら,その前にまず、すぐとなりにいる人にきちんとあいさつができ,ことばをかわせるようになってからにしろ−などと平生考えている身としては,面白い本だった。異文化といったって外国のこととは限らない。性や年代が違えば同国人の間にすら異文化理解の必要が起こる。(中略)異文化理解が,生身の接触を通しての永続的努力である、と説く。

というのである。国際化・国際理解・国際感覚など,今日さかんに議論されているが,これからはまた,教育改革の論議のなかでは,21世紀の人類社会の状況を想望して,重要不可欠の課題のうちに取り上げられていることは,お互先刻承知のところである。しかしながら,そもそも国際化とは何であるべきかを,しっかりとらえておかなければ,道をあやまるおそれがある。国際化の水準の根底にあるものは何であるか,あらねばならないかをたしかにおさえておかなければなるまいと思うのである。この意味において,白石氏の紹介文の冒頭の表現に頂門の一針を感じるものである。

 ともあれ,「国際化」については,具体的方策を樹立し実践していかなければならないのであるが,そのためには,まず,「国際化」についてその内容を整理し,とくに学校教育がどう対応すべきかの原理的考察をしておかなければならないであろう。新学習指導要領には基本的な実践内容が示されるであろうが,臨時教育審議会,教育課程審議会のそれぞれの答申内容をふまえながら,「国際化」の意味するところについて整理を行うことは,大事なことと考える。

1.国際化とは何か

(1)辞書によって国際化の語義をみると,「国際化になること。世界に通用するようになること。(小学館、日本国語大辞典第八巻P.10に見える。)」とある。国際的になるということが,国際社会に望ましい状況をつくり出すのに寄与するのでない場合もあることを考慮しなければならない。そればかりか,自国にとっても同様の場合もある。世界的に通用するようになるということは,そのあり方が有用である,価値があるとして世界的に認められるようになるのであるから,国際的になるということが,世界的に通用するあり方になるのでなければならないということになるだろう。

 ところで,何か有用であり価値があるのかということになるが,これは,究極するところ,人間の生き方が,地球と人類とを守護する方向に,平和と共栄とを実現するあり方に帰するということであろう。

(2)上記は,辞書による語義の考察からのものであるが,今日における「国際化」はつぎに引用する表現が適切でなかろうか。

 「国際化」とは,大量輸送機器や電子通信技術など巨大テクノロジーの進歩による,人・物・情報の国家を越えた相互交流の激化に伴って,各国間の相互交流が活発化し,その結果としてまた,その手段として,各国間の相互依存関係がより緊密化し,行動ルールの共通化・制度の互換性が進む現象である。(江淵一公、国際化時代における学校教育の在り方、中等教育資料No.514,P.10)

というのである。さらに氏の言うところを引用し


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