福島県教育センター所報ふくしま No.86(S63/1988.6) -004/038page
以来の追い付型近代時代における国際化とは認識や対応を異にするものであり,いわば全人類的視野に立って人類の平和と繁栄,地球上の様々な問題の解決に積極的に貢献し,宇宙船「地球号」の生態系の保全と自然・人間・機械の共存を可能にする人類文化の形成へ参加することでなければならない。と訴えている。そうして,このために次世代の日本人に求められるものとして,1 これまで以上に深く広い国際社会に関する知識,異文化と十分に意思の疎通のできる語学力,表現力,国際礼節,異文化理解能力。2 国際社会の中の日本文化の歴史・伝統・個性等について,それぞれの文化のもつ特殊性とその底を流れる共通性・普遍性を正しく認識して行動できるよう,しっかりした日本人としての文化的要素・能力。であると説いている。これらの資質を育成することが,これからの教育にもとれられているわけであるが,特に,国際的視野がアジア,アフリカ,中南米等に十分にひらかれること。ならびに,よき日本人としての資質の中によき国際人としての資質が内包されるのでなければならないということ。このような立場で教育に当るべきことが強調される必要がある。
(3)教育課程審議会は,教育課程の基準の改善のねらいの第4項に,国際理解を深め我が国の文化と伝統を尊重する態度の育成を重視すること。を挙げている。その内容は,初等教育資料No.510(昭和年63月2月号),中等教育資料No.533(昭和63年2月臨時増刊号)に述べられてあるので省略するが,お互十分わきまえなければならない。
3.「国糖化」に応ずる学校教育のために
(1)国際化に適切に対応できるためには,国際理解の能力(異文化理解の能力を含む。),国際的感受性(国際感覚と言ってもよい。国際社会や異文化の在り方に鋭敏な関心をもち得ることでもある。)国際的行為カ(国際的親善・交流・援助・協力として展開する能力である。)がよく発達しなければならない。ところが,この三者は相関連し合って,それぞれを支えている。したがって,三者の総合の高まりが意図されなければならない。このことは,学校教育の全体で担うべきものであって,たとえば,社会,道徳,英語(外国語)等に限定した対応の仕方であるだけでは不十分であるといわなければならない。各教科・道徳・特別活動のいずれにおいても担うことができなくてならない。今日では,教師がその気になれば,学校教育のそれぞれの分野で,国際化に応ずる教育のための教材を得ることは,きわめて困難であるはずではないであろう。さらに,児童・生徒が,学習材を見付け出すことができるし,そうすることが実現できるよう指導すべきなのである。学習の仕方についても同断である。
(2)国際社会に対する適合性(国際性)を培うことは国際化に対応する教育がめざさなければならないことであるが,その基礎的条件の一つは,確かな主体牲・自立性である。また理路整然とした自己主張・討議の技法である。これらは学校教育の日常の学習指導,生徒指導の総体において培われなくてならない。基礎条件の第二は,異質な生き方への健全な好奇心と寛容の態度あるいは,異質な存在へと開かれた感受性を開発し身につけていくことである。(江淵一公前出論説及び早坂泰次郎「出合い」の心理学,青年心理1988年5月号,金子書房,の末文参照)。これもまた学校教育の全領域において培われるべきであり,日本社会における一般的な生活心情に挑戦しなくてならない事柄である。
(3)国際理解(異文化理解を含む)は知的に理解することもさることながら,文化状況を生きることを通して理解することが大事になる。現実にそれができないときでも視聴覚教育を活用して肌で感じとるようにする工夫をすべきである。(木村尚三郎,異文化理解と学校教育,中等教育資料No.477及び異文化への理解,東京大学出版会,参照)
(4)国際化にかかわる教師の研修の問題,総じて教師やおとな達の意識変革の問題,帰国子女の問題,家庭教育社会教育への要請の問題,国際性を培う第一歩は日常生活の中にあること等割愛する。
おわりに
主題による整理の試み,自らの力不足を反省する。