福島県教育センター所報ふくしま No.86(S63/1988.6) -005/038page
- 随想 -
A 男 と の 出 会 い
教育相談部 佐久間 益 郎
「なあ,先生よ」
・・・・・・
「おれはなんで生まれてきたんだよ−」
・・・・・・
「おれなんか・・・生まれてこなければ良かったんだよ−」
先ほどからA男のうめくような声が耳元をかすめている。
A男は数時間前に祖母に連れられて初めて面接に訪れた中学3年生である。
学校からは,無断の遅刻,早退,欠席,喫煙,万引,恐喝,先生への反抗などのため相談の依頼があった。学校からの電話で紹介を受けたときのイメージとは全くかけ離れた,まだまだあどけなさがのこる瞳のきれいな少年であった。
面接でA男の生い立ちがわかった。
父親は運転手であったが交通事故を起こし補償のための借金をした。婿養子であったこともありA男が小学4年の時家を出たまま帰ってこなかった。今どこにいるのかわからない。
母親は出稼ぎに行っている。年に数回ぐらいしか帰ってこない。夏休みに訪ねて行ってもあまり相手にされずすぐに帰されてしまう。
今は,祖父母との3人暮しである。
祖父はふだんはおとなしいがお酒が入るといつも「お前のオヤジは・・・」と悪口を言う。
祖母は口やかましい。
家にいてもおもしろくないし,学校では注意されたり怒られてばっかり,友達には「親なしっ子」とも言われるとのことであった。
面接の終わり間際に絞り出すように言ったことが先はどの訴えであった。
さらに「おればっかりが悪いのかよ−」とも必死に涙をこらえながら言った。
A男はいつも責められ「お前が・・」「お前が・・」と言われてきた。
果たして,A男だけが責めを負うことなのだろうか。
E・バーンが創始した交流分析の中に"人はある脚本に従った言動を取る"という脚本分析の理論がある。その脚本は生まれた時から周囲のだれかの影響を受け自分自身が書く人生のシナリオである。
すると,A男の人生のシナリオに資料を提供したのはいったいだれだろう。
今までA男にかかわってきた父母や祖父母はもちろんのこと先生や友人,近所の人,親戚の人などなどであろう。
このように考えると「おればっかりが悪いのかよ−」と言うA男の訴えが胸をつく。
結果論ではあるが,だれかがA男の人生のシナリオに別の資料を提供していたならA男は今のようにはならなかったのではないか。
しかし,A男にかかわってきた人はだれしもが良かれと思ってやってきたことであろう。とすると,あらためてA男の行動に対しての責任はだれか?
法的には暦年齢で責任が決まっている。しかしA男の訴えを聴いていると何かすっきりしない。だれでもが同じ立場ならA男のようになる可能性があるのではなかろうか。
振り返ってみるに,私はかつて子ども達の人生のシナリオにどのような資料を提供してきたのか。ゾーツとするようなこともある。
子ども達が人生の名シナリオライターになれるように,良き資料の提供者にならなければと考えさせられたA男との出会いであった。