福島県教育センター所報ふくしま No.87(S63/1988.8) -002/038page

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‐特別寄稿(論説)‐

学 校 教 育 の 実 践 課 題


財団法人教育調査研究所長(全国教育研究所連盟副委員長)新 谷 政 ー

「人間教育」の潮流

 わが国の学校教育は,臨教審と教課審との答申を得て,いま,改革への歩みを踏み出した。したがって,実践上の課題を探るに際しては,まず二つの答申に示されている教育改革の視点と方向を読みとることが順当と思われる。

 臨教審答申は,改革の重点として,個性重視の原則,基礎・基本の重視,創造性・考え方・表現力の育成,選択の機会の拡大,教育環境の人間化,生涯学習体系への移行,国際化への対応,情報化への対応を挙げている。

 臨教審の設置そのものが“一戦後教育の見直し”にあったことは周知のことである。人権尊重と平和・民主・文化国家の建設を旗印として発足した戦後の教育が,偏差値による序列化,過度の受験競争,いじめ・暴力・非行・自殺・幼衰現象・成人病的症候などの諸現象によって,予期せざる情況に至ったとの判断が起爆剤となったことは誰もが認めるところであろう。

 教課審答申は,教育課程の基準の改善のねらいとして,1.豊かな心をもち,たくましく生きる人間の育成を図ること,2.自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる能力の育成を重視すること,3.国民として必要とされる基礎的・基本的な内容を重視し,個性を生かす教育の充実を図ること,4.国際理解を深め,我が国の文化と伝統を尊重する態度の育成を重視することを掲げている。

 そして,「これらのねらいは,今回の教育課程の基準の改善を目指す方向を示したものであるが,それとともに今後の学習指導の目指す方向をも示したものである」と付言している。

 二つの答申に共通する理念は,戦後教育が希求した「人間教育」の潮流を再確認し,かつ,21世紀世界を展望し,そこに生きる人間にとって,どのような教育が必要かを打ち出しているといえるのである。つまりこれは,子どもの側に立って.子どもが人間として生きるための教育,子どもから出発する教育の宣言なのである。

 答申は無欠なるものではない。したがって批判が生じることは当然であろう。しかし,行政側からのものだからといった先入観にとらわれて短賂的に拒否し反対してはなるまい。子どもから出発する教育の創造は決して安易な道ではないが,真摯な実践によって,徐々に具現化することこそがこれからの教育の進むべき方向なのである。

均質化と個性化との調和

 わが国の教育とくに江戸期における私塾の教育ほ,専らにして「人間教育」であった。人間形成をめざしての個を生かす教育であった。型はめ・記誦・受容一辺倒などの教育が行われたことも事実である。

 しかし,貝原益軒は“学道心得”において,まず「立志」(学ぶ志を持ち目的を立てること),そして「問学」(問いつづけ学び深めること)に励み,「自得」(自ら納得し体得すること)によって,「ゼイ変」(ぜいへん)(蝉が脱皮して成虫となるように自己変革をはかること)を果してこそ学びは成就するとしているし,伊藤仁斉は“博学と多学”の教えとして,「博学」は一つにして多に行くもの,樹木のように自ら養分をとって枝葉を茂らせるものであり,「多学」は多にして多に止るもので切花の如きもの,根がないから美しく見えてもやがて枯れてしまう,として戒めている。中江藤樹は“すべて学ぶ知識は自己の主体性を磨く”「砥石」とするのでなければ,学ぶも教えるも無用な「記誦記章の学」に過ぎぬ,と学問することの眼目を


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